信州ジビエ今昔物語②:大地の恵みを神様とともにいただく
諏訪大社には、昔日の狩猟信仰の面影を残す儀式も残っている。
上社と下社にそれぞれ2つの宮を有する諏訪大社だが、その上社で、毎年4月15日に行われている「御頭祭(おんとうさい)」(「酉(とり)の祭」とも)の中で、執り行われる「饗膳(きょうぜん)儀式」がそれだ。
「禽獣(きんじゅう)の高盛、魚類の調味美を尽くす」と伝えられ、山野河海の幸と酒で神と人が共食(きょうしょく)を行う儀式である。
現代では、その供物は簡略化されているが、江戸時代の様子は、諏訪大社上社の本宮と前宮の間にある「茅野市神長官守矢(じんちょうかんもりや)史料館」に復元されている。
神長官とは、諏訪大社の筆頭神官のことで、明治5年(1872年)に世襲の神官の制度が廃止されるまで守矢家が76代にわたって受け継いできた。
失われつつある古代から続いた神事の史料を展示し、伝えようというのがこの史料館である。
神前供物の復元は、江戸時代後期の旅人・菅江真澄(すがえますみ)のスケッチを基にしている。天明4年(1784年)に御頭祭を見物した記録で、神前には75頭もの鹿の首が献じられたという。
仏教伝来以降「殺生禁断」が日本の文化の主流となったと、一般的には図式化しがちだ。しかし、日本にも狩猟をし、その獲物を神の喜ぶ食べ物として供える文化は確かにあった。自然界の魚介や鳥獣が、人間にとって不可欠の食べ物であるからこそ、それを人間が食べる前に神に捧げ、神のお相伴にあずかるというかたちで自然の恵みをいただいていたのだろう。
狩猟と肉食の文化は、弥生以後の稲作文化、あるいは仏教思想に包まれながらも「諏訪の勘文」のような理屈を立てつつ連綿と伝えられてきた。
諏訪大社がその中で重要な役割を担ってきたのは、信州という土地が、縄文文化を発達させた落葉広葉樹林帯の西部に位置したため、西からの弥生系文化の影響をじかに受けながらも、ベースに縄文的なライフスタイルがあったことと関係しているのかもしれない。
そう考えれば、「信州ジビエ」は、図らずも、私たち日本人の縄文的記憶を呼び覚ましたともいえるだろう。
●茅野市神長官守矢史料館
・所在地 茅野市宮川389-1
・開館時間 9時~16時30分
・休館 月曜日、年末年始
・入館料 一般100円、高校生70円、中小生50円
・TEL 0266-73-7567
本記事は、JR東日本の新幹線車内サービス誌『トランヴェール』2007年11月号に掲載された記事の一部で、(株)ジェイアール東日本企画の承認を得て転載しています。
監修/中澤克昭 文/酒井香代
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