諏訪地域は4月から御柱祭が始まり、盛り上がっていますが、その諏訪大社は狩猟神事を執り行っていることから、狩猟や漁業の神様としても知られています。
今回はその諏訪大社の狩猟にまつわる話を紹介させていただきます。
以下の記事は、JR東日本の新幹線車内サービス誌『トランヴェール』2007年11月号に掲載された記事の一部で、(株)ジェイアール東日本企画の承認を得て転載しています。
監修/中澤克昭 文/酒井香代
信州ジビエ今昔物語①:日本中の信仰を集めた狩猟の神様
御柱祭で有名な諏訪大社は、縄文文化とのつながりも指摘されている古い神社である。
古代、狩猟は山間地に暮らす人々の生活の糧であっただけでなく、その土地を支配する王が神と交流するという意味もあったという。
「日本書紀」にも、天皇が神とともに狩猟を楽しむことを「徳」とする記述が残る。
王の狩猟は、大地が生み出す初物を狩り、豊穣を祈って神に捧げる生産儀礼でもあり、さらに大地を象徴するイノシシ・シカなどを狩ることにより、大地に対する王の領有権を確認する儀礼でもあったのだ。
仏教が伝来し、律令制度が整えられる中で、「殺生禁断」も唱えられたが、そうした狩猟儀礼を続けた神社は少なくなかったし、古代には天皇の狩猟儀礼も行われていた。が、肉食、とりわけ獣肉食は、徐々に忌避されるようになり、天皇の狩猟は鷹狩や鵜飼へと移っていった。
そして、時代は武士の時代、中世へと変わっていく。
本格的な武家政権を打ち立てた源頼朝は、将軍就任の翌年に、那須・浅間・富士の裾野で大規模な巻狩(まきがり)を行った。
巻狩というのは、シカやイノシシを大人数で追い詰め射止める猟である。
これは軍事政権の首長、つまり「王」として挙行した大規模な狩猟儀礼だったと考えられている。
やがて、鎌倉幕府の中にも、京都の公家文化や仏教の影響で、狩猟や獣肉食への罪悪視が広まり、狩猟禁止令も繰り返し出されるようになった。
狩猟や肉食を続けてきた在地の武士たちが、この禁止令に困惑したことは想像に難くない。それを救ったのが、諏訪大社だった。
諏訪大社には「諏訪の勘文(かんもん)」という呪文があった。
その趣旨は、「業(ごう)の尽きた生きものはたとえ放してもそう長くは生きられない。むしろ捕らえられ人間の食用となり、それを食べた人間の功徳を分けてもらい、ついには仏の救いにあずかるのが幸いである」というものだ。
14世紀以降、これが広く流布し、諏訪大社は、全国の狩猟者の絶大な信仰を集めることになったのである。
(つづく)
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