2016.02.20 [ 歴史・祭・暮らし ]
三周年のこころに 【井月さんのこころ154】
井月さんのこころ シリーズ その154
この『い~な上伊那ブログ』に『井月さんのこころ』が初めて登場したのは、3年前の2月23日のことでした。
間もなく三周年を迎えることになります。
2013年2月23日 桃の節句・雛祭りの頃【井月さんのこころ1】
三周年といえば、長野県議会2月定例会招集日の17日昼、今回で第3回目となる『い~な上伊那 特産品フェア』を県庁10階生協特別食堂で開催しました。
上伊那の地酒をはじめ、たくさんの「い~な上伊那」を持って参上し、好評でした。たくさんお買い求めをいただき、まことにありがとうございました。
2016年2月19日 い~な上伊那 特産品フェア !! 大盛況でした
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一般的に「○周年」というときは、ある時点から数えて、過ぎた年数を数えます。満で三年は「三周年」です。ただし、「十周年 数え方」でネット検索すると、実際は主催者側の考え方で、数えで10年目に行っている例と満で11年目に行っている例とがあり、どちらでも誤りではないということです。『井月さんのこころ』は、満三周年、『い~な上伊那 特産品フェア』は、数え三周年です。
暦は、19日(金)が「雨水」、雪が雨に変わる季節。14日(日)には、全国的に春一番が吹いて一気に季節が進みましたが、再び寒気が入って、まだまだ油断はできません。
前々回(その152)不苦者迂智(ふくはうち)に 【井月さんのこころ152】
において「現代の名工(卓越した技能者)」で宮田村在住の染色家である細田伊佐夫先生(井上井月顕彰会理事)から、井月さんの「夏座敷」の新句の真筆を写した色紙も頂戴していることに触れましたが、今回その紹介をさせていただきます。
志ら菊と呼(よぶ)酒の名や夏座敷 柳の家(井月)
この句は、明治十八年の真夏、井月さんが高森町市田上市場の中村家へ投宿した際に書き残したもので、井月さん筆跡の手紙と一緒に軸装されて残されているものだそうです。その発見の経緯は、南信州文化財の会会長の吉澤健先生が昨年4月25日、南信州新聞「資料渉猟余話その49」に詳しく述べられております。
太平洋戦争末期の昭和19年7月、下伊那地方の37蔵は企業統合して「喜久水」の銘柄に統一されていますので、「志ら菊(白菊)」と呼ばれた酒は、明治時代にあったその辺りの地酒銘柄であろうと推測されます。
宮原達明先生の「漂泊の俳人 井月の日記」(ほおずき書籍)の分析によれば、明治十六年十二月から明治十八年四月のうち実質360日余の記録の中で、井月さんが市田へ宿泊した回数のうち中村亭(中村藤雄・俳号 花月)は4回で、曹洞宗松源寺(住職 松岡鳳州・栽松先生)の5回と並ぶ定宿であったとのこと。その日記の明治十七年六月には、次のとおりあります。
明治十七年六月
廿八日
主(註:前泊の飯島町七久保の松村傳平)飯田行、おのれ朝酒有て昼持参出立。大島藤田先生(註:松川町大島の人)にて弁当。空曇り村雨。夕刻市田上市場中村藤雄先生留守へ投宿。野州の種屋(此五字難読)と同宿す。馳走冷麦南ばん焚佳、酒上々。此夜雨降千両。
廿九日
曇天村雨 滞留弓有。
卅日
快晴 小雨瘧二日目昼後校へ出、本島先生に謁し松源禅寺栽松先生へ投じ泊馳走。幸里大人二(種々馳走)初見。巳刻より糠雨、しめり佳。
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