2016.02.20 [ 歴史・祭・暮らし ]
三周年のこころに 【井月さんのこころ154】
井月さんが中村家へ投宿した晩は「雨降千両」であったようですが、真夏の暑さの中で戸障子を開け放たれた風の通る奥座敷で冷やされた「上々」の地酒を振舞われている井月さんの姿が目に浮かびます。
ところで、井月さんが恋い憧れた芭蕉翁の『俳諧七部集』のひとつ『炭俵』に、蕉門十哲に数えられる志太野坡(しだやば)の有名な「夏座敷」の句があります。井月さんの「夏座敷」も、この句を意識しているものと思います。日記を見ていくと、この後、八月中旬にも飯田の花火見物に行く途中に市田辺りへ寄っています。
行雲をねてゐてみるや夏座敷 野坡
野坡は、三井越後屋の番頭にまで上り詰めた俳人で、元禄六年(1693)冬、撰集『炭俵』を芭蕉翁と共に編集し、翌元禄七年六月に刊行しています。この「夏座敷」の句は、『炭俵』上巻(春夏)の巻末句として掲載されています。
遡回その86に記したとおり、芭蕉翁は、その元禄七年に旅先の大阪にて病の床に伏し、十月十二日多くの門弟たちに見送られ生涯を閉じたのでありました。
病中吟
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉
芭蕉翁は、その遺言によって、大津の義仲寺に運ばれ、木曽義仲のお墓の隣に眠っています。
2014年11月15日 晩秋の風と残菊に 【井月さんのこころ86】
井月さんの「夏座敷」の色紙を細田伊佐夫先生からいただいた折に、宮田の酒造店「正藤正木屋」の話題に花が咲いたので、この句もその土蔵から発見されたものと勘違いしていましたら、原稿を見ていただいた細田伊佐夫先生から、吉澤健先生が昨年4月に南信州新聞へ投稿された「夏座敷」の句の記事と、同じく昨年、細田伊佐夫先生らの手によって高森町市田の本島家から発見された7つの新句についても資料を送っていただきました。それら軸装された井月さん真筆の句が、昨年9月の第3回「千両千両井月さんまつり」の際に展示されたとのことです。
細田伊佐夫先生のお話によると、まだまだ井月さんの未発見の句が眠っている可能性があるそうです。
ところで、宮田の酒造店「正藤正木屋」といえば、宮原達明先生の「漂泊の俳人 井月の日記」(ほおずき書籍)に「正木屋主人山浦山甫 ―伊那における井月の基点― 」に詳しい解説があります。この「正藤正木屋」の主人山浦山甫(籐左衛門)こそが、「初めて伊那へやってきた井月を最も早く受け入れ、自宅に滞在させながら多くの俳人たちを紹介し、……山甫との出遭いをきっかけに、伊那谷における多くの俳人との交流が始った。」のだそうです。
そして、「井月と山甫・籐左衛門とは気が合ったらしく、井月はしばしば訪れ、正木屋へやってくると半年くらい逗留することがあったという。晩年の井月からは考えられない長逗留である。」とのこと。井月さんの晩年の日記(旧暦で明治十六年十二月から十八年四月まで)には、なるほど「正木屋」へ泊った形跡が見当たりません。
立ち寄ったことは、記されています。
明治十八年一月
十八日
快晴東風。
東風吹や駒の足並見る日和
今朝も馳走、酒肴佳。半切もら(口偏に羅)ふ。宮田辺年始。春秋老留守にて上下駄御恵み。正木やにて馳走、夜に入、代田の門迄行き、銭湯に入、素句呈。簾やに泊。
明治十八年一月十八日は、新暦の3月4日で、東風(こち)吹く季節。
東風は春の季語ですが、信濃ではまだ春が待ち遠しい今日この頃です。
写真は、天竜川東岸、伊那市役所駐車場の枝垂れ柳。色付き始めて初東風に靡いています。
井月さんが詠んだ「柳」は46句あるそうですが、これは晩冬の句です。
馬の飲む水はけぶりて枯柳 井月
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