い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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落ち栗のように【井月さんのこころ30】

井月さんのこころ シリーズ その30
暦は二十四節気の「寒露」を迎えた(10月8日)ものの、南海上を台風23号24号が続けて北上し、暑さがぶり返しています。
今年は、栗の実も豊作のようです。
写真: 落ち栗

さて、井月さんが自らの境遇を詠んだとおぼしき句を二首紹介しようと思います。

落栗の座を定めるや窪溜り  柳の家 井月

以下、この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、

井月は、明治十八年『余波の水茎』を発行。跋文は「古里に芋を掘て過さむより、信濃路に仏の有りがたさを慕はむにはしかじと、此伊那にあしをとどめしも良(やや)廿年余りに及ぶ。・・・・・」としてこの句を載せる。漂泊多年、遂に伊那を墳墓の地と定めた諦念。わが身を窪地に転がる栗にたとえた。
この句の碑が一九八七年美篶太田窪に建立された。
(落栗・秋)

写真: 井月句碑 「落栗の座を定めるや窪溜り」(伊那市美篶太田窪)
お隣には井月さんを慕って墓参りに訪れた山頭火さんの句碑が並んで建っています。

 晩年の井月さん64歳、この前年、太田窪の塩原梅関宅に「厄介人」として戸籍を得て、伊那の地に骨を埋める覚悟となったようです。
そして、井月さんの俳諧三部作の最後『余波(なごり)の水茎』の結びに自分でこの句を掲げているのですね。
この「落栗」、和歌にも詠んでいます。

今は世に拾ふ人なき落栗のくち果てよとや雨のふるらん  よし貞(井月)

この世の名残(なごり)にと詠んだ井月さんの辞世ともとれる和歌と俳句です。
66歳で没した井月さんの辞世については、遡回その4をご覧ください。

そして、もう一首

立ちそこね帰り後れて行乙鳥(つばめ)  井月

以下、この句の評釈についても、同様に「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、

「国へ帰ると云て帰らざること三度」と詞書がある。井月は、信濃に三十年いて、庵住を希望すること度々。それには一旦帰郷して戸籍を移す必要があった。明治五年東伊那の中村家で井月送別会を催して送る等したがその度に途中から引き返した。よほどの理由があったのであろう。
この句の碑が駒ヶ根市中沢桃源院、及び長岡市広西寺に建立された。
(帰る燕・秋)

 写真: 井月句碑 「立ちそこね帰り後れて行乙鳥」(駒ヶ根市中沢 桃源院)

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