幕末に伊那谷を揺るがした水戸天狗党事件。武装した天狗党約850人が
宮田宿を通過した際に、正木屋の当時の主人は党首の武田 耕雲斎の信を
得て、直筆の七言律詞の掛け軸を賜り家宝として保管されています。
(写真は染物にした写し 現物は、昨年高遠歴史博物館で開催された
明治150年展の目玉として披露されました。)
当時の店主 山浦藤左衛門は俳人でもあり(俳号 山浦山圃)
かの井上 井月を歓待、訪れる度に半月ほど逗留したそうです。
井月さんも、俳句を肴に造り酒屋で飲むお酒は
さぞ美味しかったことでしょう!
銭屋(ぜにや) 宿場の中心に位置する豪壮な建物
江戸時代は旅籠屋、明治期は肥料製造業
明治23年の大火の後に建てられた、防火のための土蔵造り瓦葺の建物です。
(左)両側に類焼を防ぐための袖壁(うだつ)
(右)蔵造りの建物の特徴、なまこ壁
銭屋さんの脇を通る、風情の残る「銭屋小路」
宮田は明治期には養蚕、製糸業が盛んになり、通りの先には
花街や劇場(宮田劇場には近在から人が集まった)、銭湯、写真館
などがあり、大変賑わったとのことです。
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