「好屋小路(よしやこうじ)」
こんな細い路地も探検に絶好の昔からのみち
小学生の通学路でもあります
中央アルプス山系の花崗岩を通ってきた清流が流れるまち中の水路。
古絵図の町割りと同じく、水路も同じ位置で昔のままに流れています。
明治23年大火による延焼は仲町信号辺りまで、その北側(写真左
方面)からは江戸期の建物が残っています。
増屋(ますや) 宝永元年(1704)からの宮田村最初の造り酒屋、
名主を務め、主屋の周りに年貢米等を入れる土蔵があります。
増屋さんの土蔵、より高価な黒漆(うるし)の黒壁の造りです。
宮田宿本陣跡に記念に建てられた門。
本陣建物は、村民の宝(県宝指定)として昭和62年(1987)
西方約5kmのふれあい広場に移転されています。
伊那街道(三州街道)は、中山道、東海道の脇往還であったため、
関所もなく、諸国の参勤交代の大名の宿泊はなく、飯田藩のお殿様の
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