2015.02.09 [ 長野地域の【自然】 ]
つれづれなる水の流れ ~川中島平の上中堰~
右側の神田堰の水路底が高くなっているのは、下流に流れていくと上堰、中堰の上を立体交差する必要があるからです。
現在の「神田堰」は、かつては「新田堰」、水路が開削された文久元年(1861)には「操穴堰」と呼ばれて、小田切ダム下流あたりから取水していたようです。明治2年(1869)に下流で取水していた上堰を操穴堰に合口して、「上堰組合」を作りこの分水工までを拡幅して用水管理してきた歴史があるのだそうです。
▲田直し地図
また下流にはこんな看板がありました。
上中堰の横で清酒等を醸造している会社です。㈱西飯田酒造店で、江戸末期からの創業で長い歴史があります。
▲西飯田酒造の玄関
▲西飯田酒造の銘柄
▲醸造所脇を流れる上中堰
上は西飯田酒造の醸造所の横にある「上中分水工」の写真です。
右側の上堰、左側の中堰に分水されています。ここから下流は、花井父子が開削した「上堰」「中堰」に分かれて用水は水田まで流れて行きます。
分水工から下流は省かせていただいて、最後は「大払堰」に集められてから「小森第一排水機場」の樋管から一級河川千曲川に排水されています。
【参考文献】
平成13年10月 「生命を育む水~上中堰土地改良区50周年記念誌」 上中堰五十周年記念誌編集委員会編集 上中堰土地改良区発行
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