い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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蚕上がりの頃【井月さんのこころ67】

井月さんのこころ シリーズ その67
 遡回その64「衣替えの頃」で「6月1日に小野山林組合の鍵役(かんやく)があり、駒沢山鷹巣で松茸山造成ための藪刈りを行ないました。」と書いたら、鍵役(かんやく)というのは何ですか?と聞かれました。
 「う~ん?鍵役は、鍵役でして・・・土地によっては出払いとか共同作業とか・・・・」と、説明に詰まってしまいました。
 先日、所長室の書棚で、建設省(現・国土交通省)中部地方建設局天竜川工事事務所の企画発行、「三峰川みらい会議・水チーム」監修、北原優美氏編著による『三峰川ものがたり』(平成12年3月発行)の中に、一口メモ「鉤役」の記述を見つけました。
 『広辞苑』を引いても出てきません。『日本史用語辞典』ではじめてわかりました。
 「世帯割の課役。中世では、棟別に課役を徴収することが多かったが、百姓が税負担から逃れようとして長屋を作り、一棟に数世帯が住むようになったため、世帯ごとに鉤(いろりの鉤)・かまど役を課するようになった」
 中世からの用語ですが、伊那谷でも農村部には、いまだにこの言葉は生き続けています。一戸から必ず一人は出なければならない労役の形で、そうやって地域を守ってきたのです。
 

 先週の週末には、この6月1日(又は8日)の鍵役の出不足金集めに回りました。出役できなかった組合員世帯から一戸七千五百円のお金を徴収するのです。最近は、組合員の高齢化や西山が急峻なこともあって、220組合員のうち出役したのは70戸くらいで3割程度にとどまりますから、入札による松茸山の貸付代金とともに組合にとっては重要な収入源になっています。

 夏至であった21日(土)午前中、休戸耕地の山鍵役(7月5日午前半日の予定)のために共有林の下見を行いました。
 自身は、7月5日(日)には公務が入っており出役できませんので、出不足金四千円を支払うことになりそうです。
 ちょうど「ササユリ」が咲いて、「ウグイス」が鳴いていました。



 いつの時代も、なんやかんやと忙しく仕事をした後の息抜きは、旅行や湯治でしょうか。
 養蚕が盛んであった時代の、この時期に、井月さんが詠んでいます。

  ねだられて温泉に行蚕上りかな  井月
  (ねだられてゆにゆくかいこあがりかな) 

 この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、

 養蚕の収繭が終わるのは6月下旬、農作業もちょっと一段落。養蚕は労力を集中する重労働で、体重が減るほど。特に稚蚕飼育を任される主婦は気の休まる時がない。それだけに大当たり豊作の喜びは格別。
 保養に温泉へと、主人にねだるのは主婦、家族。温泉に行くにも今とは違って、えっちらおっちら徒歩。
 (蚕上り・夏)

 この井月さんの句にある「蚕」という字は、神の下に虫を書く一字の「かいこ」です。
 IMEパッドには神の下に虫を書く蚕という字がないということは、遡回その50「初午祭りの頃」に書きましたが、そればかりでなく、この原稿を打っていましたら、「収繭(しゅうけん)」「稚蚕(ちさん)」といった字さえも一発では変換できないことが判りました。「養蚕や製糸が日本社会にとって如何に忘れ去られた過去のものになってしまったのか。」を痛切に感じさせられます。
 蔟(まぶし)の中から繭を取り出すことを収繭(しゅうけん)といいます。
 蔟(まぶし)って何だ?とおっしゃる方は、遡回その15「蚕が糸を吐くように」をご覧ください。
 群馬県の富岡製糸場が世界文化遺産に登録されることが決まり、見学者で大賑わいのようです。養蚕・製糸も過去の遺産となってしまいましたが、まだまだ頑張っておられる養蚕農家もあります。
 箕輪町の北條寛さん方を訪ねて、上蔟(じょうぞく)の作業を見学させていただいたのは、昨年の夏至の日のことでした。
 

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