2015.01.10 [ 歴史・祭・暮らし ]
年の初めに 【井月さんのこころ96】
井月さんのこころ シリーズ その96
いよいよ新たな年がスタートしました。
この年末年始は雪が降り、厳しい寒波も来て、元旦に初日が拝めたところは少なかった上伊那管内でしたが、雪中の山に入り、松と榊(ソヨギ)を採ってきて、門松を立てて注連縄を張り、正月の準備をし、年取りの煮物や魚を食べ、恒例の除夜の鐘を撞きに菩提寺に行きました。干支のお守りが、今年の場合は、未の根付が108つ用意されていて、いただけるのですが、年が変わる10分前頃から撞き始めた時点で、降雪の中にもかかわらず50人位が並んでいました。
方丈様が般若心経を唱え撞き初めされた後、8番目に撞かせていただきました。家族皆が健康で過ごせる一年になりますように、上伊那地域が事件・事故や災害のない平穏な一年でありますようにと願って……
「ご~~ーん」
元旦の朝 7:04 初東雲
元旦は、若水を汲み、日の出を待って四方拝。お雑煮を食べ、菩提寺に年始の挨拶に行き、10時から隣組13軒恒例の新年会があり、500円会費で一献の顔合わせを公民館で行いました。我が隣組も今年の3月に中学生3人が卒業すると中学生以下の子どもが一人もいなくなります。57戸の耕地全体でも子どもの数が減り、限界集落論の大野晃さんの定義によれば、限界集落の手前の「準限界集落」になると思いますが、集落の維持存続が年々厳しくなってきています。
我が菩提寺の祭林寺は禅宗ですが、禅の教えは、「日々是好日」であったり「拈華微笑」であったり、とにもかくにも平和な穏やかな新年がスタートをし、今年もまた一年、そうした一日一日を紡いで、日常を大切にして自分らしい一年にしたいと決意を新たにしました。
この連休中に、本を3冊読みました。増田寛也さんの「地方消滅」、山下祐介さんの「限界集落の真実」、久繁哲之介さんの「地域再生の罠」です。
増田レポートは、「消滅可能性都市896」というセンセーショナルな問題提起をし、地方創生の基礎資料とされています。896というのは、若年女性(20~39歳)人口の減少率(2010年→2040年推計)が50%を超える市町村の数です。長野県では77市町村のうち34市町村が該当し、上伊那管内では飯島町が-67.8%で該当することとされています。東京一極集中が招く人口急減への対策として求められる国家戦略は、地方が持続可能な経済・社会構造を構築していく「地方創生」。そのために必要な具体的なプランは、それぞれの地方が創っていくべきであり、人口の維持反転・人口の再配置・人材の養成と獲得を目指して、地域自らのイニシアティブによる多様な取組み「地域版総合戦略」を練るべきと説きます。
山下さんの著書では、集落の安定性・正常性と大都市圏の不安定性・異常性などの対比分析が様々な具体例を基に展開され、高齢化が限界に達しての集落消滅はまだ発生していないし、集落はそう簡単に消滅するものではない。限界集落問題は、まだ十分に回避できる可能性を持っているが、何も手を打たなければ、いずれ予言どおりに進行してしまう「避けるべきリスク問題」である。集落再生プログラムには、発想の転換が必要で、補助金行政・メニュー行政から脱却し、集落発の再生こそが必要。むらの暮らしの健全さの原点は家族にあり、集落から他へ出た子供たち「他出子」を呼び戻すなど徳野貞雄氏の「集落点検」という手法などを使えば集落再生は可能である。コミュニティが消えたのはむしろ大都市であり、周辺(地方圏)からの視点で中心(大都市圏)を見ないと本質が見えないと説きます。
確かに、効率性・経済性・合理性だけを追求して「選択と集中」を言い出すと日本の社会全体が危うくなるのではないか。「安全・安心・安定」が脅かされるような効率性は求めるべきではないと感じた次第です。
5日(月)、輝かしい2015年、平成27年、乙未年の正月を迎えて、心新たに仕事始めの式に臨み、そんな話題も交えながら、年頭の挨拶を申し上げました。
今年は未年であります。景気が巡航速度に乗って着実に上向いていくことと、災害のない平穏な年になるように期待します。そして地方創生の年、東京一極集中を是正し、地方の活力が高まる年になるように、県も市町村と一緒になって戦略を練っていきたいと思います。
来週には、阿部県政2期目のスタートダッシュ「しあわせ信州移動知事室」の初回がこの上伊那で実施されます。今回の市町村長との対話の大きなテーマは「地方創生」ですし、知事には様々な現場に足を運んで、多くの人と対話し、上伊那発の様々な取組みを見てもらう予定にしています。地域住民の皆さんにも県政をより身近に感じていただけるように取り組んでまいりたいと思いますので、職員の皆さんの御協力をお願いします。
この一年、先ずは健康で、一日一日を大切にして、仕事と生活とのバランスが程良くとれるようにしていただき、仕事に対しては、追われるのでなく、追いかけるように努力していただきたいと思います。その上で、長野県やこの上伊那地域に愛着や誇りを持っていただいて、地域の活力と安心とが両立できるように、確かな暮らしが営まれる美しい信州「しあわせ信州」の実現のために、それぞれ課ごと課長さんを中心に仕事や行政課題にチームワーク良く取り組んでいただきたいと思います。
新たな気持ちで前向きに仕事をしましょう。よろしくお願いします。
さて、禅の教えの「拈華微笑(ねんげみしょう)」は、
「世尊、昔、霊山会上に在って、花を拈じて衆に示す。是の時、衆皆な黙然たり。惟(ただ)迦葉尊者(かしょうそんじゃ)のみ、破顔微笑(はがんみしょう)す。世尊曰く、「吾に正法眼蔵(しょうほうげんぞう)涅槃妙心(ねはんみょうしん)実相無相(じっそうむそう)微妙法門(みみょうのほうもん)あり。不立文字(ふりゅうもんじ)教外別伝(きょうげべつでん)摩訶迦葉(まかかしょう)に付嘱(ふしょく)す」と。
昔ある日のこと、世尊(お釈迦様)は霊山での説法において大衆に向かって静かに花を高くかざして示された。このとき大衆はその意味が分からず、ただ黙ったまま何の言葉も出せなかった。このとき一番弟子の迦葉尊者だけが破顔し微笑した。この微笑に世尊は迦葉こそわが真意を解したると悟り、「吾に、正しき智慧の眼(法眼)をおさめる蔵があり、涅槃(悟り)に導く真実絶対なる法門がある。この法門は言葉によらず、文字によっても教えることができない微妙の法門である。この我が真実の法の一切を摩訶迦葉に伝授する。」と申されて、釈尊の悟りのすべてを迦葉尊者に伝授されたのだそうです。
この時、お釈迦様が捻り採ってかざし示した花は、金波羅華(こんぱらげ)という花であったといわれていますが、どのような花であったのかは定かではありません。一説には「蓮華(はすのはな)」であったと。こうして「正法眼蔵」の真理、釈尊の禅の心は、弟子・迦葉に授けられて、現代にまで生き続けています。
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