2014.08.14 [ 佐久のイベント ]
五郎兵衛用水を歩く会に参加してきました!
夏風邪は馬鹿が引く・・・
やっとマスクが取れた、農地整備課のKS37です。
先日8月2日、佐久市教育委員会主催の「五郎兵衛用水を歩く会」に参加してきましたので、その模様をお伝えします。
五郎兵衛用水は、今から約380年前に市川五郎兵衛翁が私費を投じて開削されたという経緯をもつ歴史的にも貴重な水路です。
現在、その大部分は昭和30年代の改修によりその姿を変え、近代的な水路に生まれ変わっております。
その改修の際、ショートカットされるなどして使用されなくなった水路跡は、現在長野県の史跡として指定されており、その歴史は「五郎兵衛記念館」や用水路を管理する「五郎兵衛用水土地改良区」などにより現在まで伝えられております。
今回の「五郎兵衛用水を歩く会」もその一環という訳です。
既にその回数も22回(22年間)を数えるという、これまた歴史あるイベントです。
更に今回は、佐久市のケーブルテレビのカメラマンも同行、ちょっぴり緊張の一日となりました。
実は、このイベントについては昨年、一昨年にもこのブログにて紹介させて頂いております。
今回は趣向を変え、施設にまつわる知られざる裏話などを披露したいと思います。
『片倉堀貫・八士遭難の碑』
「堀貫」とは、現在で言うトンネルの事です。この片倉堀貫は全長324mとされ、五郎兵衛用水で最も長い堀貫です。
この堀貫、高さ1.8m、幅1.5mと、現在の水路トンネルより一回り大きく、当時の作業の労苦が偲ばれます。(現在坑口は塞がれ、中を見ることはできません)
また、この堀貫は入口と出口で高低差が2mもあり、この用水としてはかなり急な勾配となっています。さらに、トンネル内ではわざと底をうねらせて、水が暴れるような構造としています。これは、トンネル内に土砂が溜まりにくくするための工夫だという事です。
八士遭難の碑については、痛ましい事故によるものです。
昭和12年、御牧原修練農場(現在の農業大学校)で満蒙開拓を目指して訓練を受けていた青年たちが、訓練の総仕上げとして実施されていた堀貫の実地訓練に訪れた際、流水と将棋倒しによる事故のため、8名が亡くなっています。
この事故を悼み、翌年に建立されたものだそうです (-人-)
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