2019.08.02 [ 佐久のいい景色 ]
軽井沢町の群馬県境、碓氷峠をブラブラしました!(熊野皇大神社、碓氷峠見晴台ほか)
こんにちは。最近休日の行動がブログで筒抜けになっている商工観光課のまっさんです。
そんな今週末のまっさん、前々から行ってみたかった「熊野皇大神社(軽井沢町)」に行ってみました!
軽井沢というと、綺麗な別荘地やこじゃれた観光スポットを思い浮かべる方も多いかと思います。しかしその昔は、5街道の一つとして、江戸から京までを結ぶ「中山道」の18番目の宿場町「軽井沢宿」でした。(宿場があったのは今で言う「旧軽井沢銀座」の場所です)
中山道にて信濃国(長野県)の入り口にあたる軽井沢宿ですが、その手前には、険しい山道を登る中山道最大の難所「碓氷峠」がありました。この碓氷峠の山頂、上信国境に鎮座しているのが、長い歴史を持つ「熊野皇大神社」です。
神社に入るときにまず驚く特徴。なんとこの神社は、お社の中央を境として、綺麗に長野県・群馬県の2県にまたがっています!
より正確に言うと、一つの神社でありながら、長野県側が「熊野皇大神社」、群馬県側が「熊野神社」というように、二つの別々の神社がくっついた形となっています。
長野県と群馬県を行ったり来たりしながら階段を上ります。
二つの神社ですので、御朱印も別々です。(掲示や飾りの雰囲気なども左右で異なっていますね~)
本宮でお参り。二つの神社に同時にお参りできるというのもお得感?があります。
長野県側のパワースポット、樹齢約1,000年のご神木「しなの木(科の木)」です。古くから開運・縁結びのご神木として信仰されてきました。
木の周りをぐるっと一周すると御神徳を得られるとのこと。途中、木にハート型の穴が見えるスポットがあります。まさに縁結びの御神木。
「熊野神社(群馬県側)」の神楽殿。こちら側でも、群馬県で最古(約720年前)の釣り鐘や、南北朝時代に建てられた多重塔など、歴史ある宝物が見られます。
神社の御由緒によると、日本武尊が東国平定の帰路、濃霧にまかれ、八咫烏の道案内によって無事山頂までたどり着くことができたことから、熊野の大神を祀ったのが両神社のはじまり。この地で日本武尊が亡き妻を偲んで嘆いたことから、「なげきある山→長倉山」など、軽井沢や群馬の様々な地名の由来にもなっているとのことです。
そして、御朱印!
群馬県側「熊野神社」の御朱印と、
長野県側「熊野皇大神社」の御朱印を両方いただきました!(ハートがかわいいですね)
ここで、ちょっと一休み。熊野皇大神社の向かい、創業300年「元祖力餅しげのや」さんで、ソフト力餅をいただきました~。和洋の組み合わせがおいしいです。江戸時代の旅人も、しげのやさんで力餅を食べて力を蓄え、碓氷峠を越えていったそうです。
熊野皇大神社のすぐ近くには、「碓氷峠見晴台」がありますので、そちらにも行ってみました。(熊野皇大神社から徒歩5分程度)
石畳の道を進むと、公園のような見晴台に至ります。ここは、戦国時代には狼煙台として使われていた場所とのこと。
見晴台も、長野県・群馬県の県境上にあります。
見晴台からは、関東平野が見える!はずなのですが、当日は霞がかった雨のためほぼ平野は見えず…
うっすらと山々だけは見ることができました。ギザギザしているのが妙義山でしょうか。
霞の効果で遠くの山々が水墨画のように見えます。
お天気の良い日ならもっと絶景が見えるかも!?
ということで今回は、軽井沢町の熊野皇大神社と、碓氷峠見晴台を満喫したのでご紹介しました!
明治以降の別荘地を想像しがちな軽井沢ですが、実は「古事記」「日本書紀」からの歴史を感じることができる歴史的スポットでもあるというのが、また魅力的に感じます。
皆様も、是非暑い暑い夏休みに、避暑地の軽井沢の中でも特に涼しい碓氷峠を訪れてみてはいかがでしょうか。
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