梅雨も明けて、毎日寝苦しい夜を過ごしています農地整備課HTです。
そんな寝不足ぎみの私が毎朝通う通勤路の道端にポツンと地味な石碑があります。
JR篠ノ井線と一級河川田川が交差する場所で、注意しなければ気付かず通り過ぎてしまいそうです。
早朝少し時間があったので立ち止まって、改めてしっかり眺めてみると・・・
「松本村役場趾」???? なんだこれ???
ここは松本の中心市街地からは結構離れているし、そもそも「村」って・・・
松本市に村の時代なんてあったか?
等々思いながら写真を撮っていると、ちゃんと隣に説明看板がありました。
なるほど・・・。
看板にはザックリとした歴史が記載されていましたが、家に帰ってから少し調べてみると・・・
どうやら、松本村(東筑摩郡)は、明治時代と大正時代に存在した村で、
松本市の前身ではなく松本市街南方に隣接する別の自治体であったらしい。
1924年(大正13年)頃の松本周辺の行政界はこんな感じです。
歴史的行政区域データセットβ版 ベクトルタイル地図より転記
松本村の変遷は、(大部分端折りますが)
1889年(明治22年)町村制の施行により、出川町村・笹部村・両島村・高宮村・並柳村および筑摩村の一部(征矢野・鎌田および小島のうち田川西)が合併して松本村が発足。
1925年(大正14年)松本市に編入。同日松本村は廃止となった。
因みに、松本市の変遷はと言うと、(こちらも前段端折りますが)
1889年(明治22年)町村制の施行により松本町が発足。
1907年(明治40年)市制の施行により松本市が発足している。
・・・と言うことは。
1889年(明治22年)から1906年(明治39年)までの18年間は「松本町」と「松本村」、
また、以降1924年(大正13年)までの18年間は、「松本市」と「松本村」が同時期存在していた事になりますね。隣接しているし、行政事務は混乱しそうですね。
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