激動の歴史をたどることとなります。
伊那県庁の人々による「御一新」の理想実現の挑戦は、語り継がれない史実として
埋没してきました。
私が「伊那県商社事件」の話を伺ったのは、昨年春「上郷史学会」の
公開講演においてです。伊那谷を舞台とした知られざる「もうひとつ
の明治維新」の事実に参加者は熱心に聞き入りました。
講師の青木 隆幸さん(長野県立歴史館(当時) 喬木村出身)
信州と伊那谷への深い愛情を感じる、引き込まれる内容でした。
明治150周年の数年前より、この事件を改めて掘り起こし、
研究成果を郷土研究誌「信濃」、「伊那」に発表、昨年夏の
歴史館企画展、新聞紙面でも発表されました。
青木さんの話では、伊那県があくまで「等価交換」にこだわった
理由は、御一新の世に理想(幻想?)を抱いた伊那県庁の人々の存在
であり、それらの人々と背景となった三遠南信の平田国学の「自力
の尊重」の土壌は、この地におけるその後の自由民権運動、青年団
運動、農村更生運動へと発展し、現在の地域づくりのメッカと言われる
伊那谷につながっているとします。
また、誤解を受けがちな平田国学ですが、日本発の思想として、
西洋の人間中心主義を超える力、すべての生命が響鳴する世界を想像
する力を持っている「環境の世紀」に求められる思想であること、
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