い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

い~な 上伊那

2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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かみいな風景一話~明治150年!伊那県庁(飯島陣屋)の志士達の物語!!

そのころ、幕末から維新にかけての混乱期に全国に出回った

「贋二分金(にせにぶきん)」が大きな問題となります。

二分金は一両の半分の価値の金貨(一両=4分=16朱)で

贋二分金は、銀、銅、真鍮の台に金をかぶせただけのもので

伊那谷には全国の2割が流入したと言われます。

二分金が信用失墜して使えなくなることは、民衆の暮らしの崩壊に

つながり、明治2 (1869)年7月には飯田で「二分金騒動」と呼ばれる

大暴動が起き、その後県下で上田騒動、会田騒動等が発生しました。

(写真)展示されている二分金の本物(左)と贋金(右)

 

この状況を収束するために、新政府は明治2年9月

「贋二分金100両を金札30両に交換する」と宣言し布令を出します。

このままでは、民衆は持っている贋二分金の七割損をしないと本物に

交換できないことになります。

ここで伊那県官員達が知恵を絞って出した結論は、以下の通りでした。

1 伊那県では贋二分金100両を金札100両に「等価交換」する。

2 伊那県が国との交換で損失となる70両分を負担する。

3 負担分を埋め合わせするために、新たに「伊那県商社」(今の株式会社)

を設立し、商社が稼ぐ利益で負債の返済をしていく(商社構想)。

商社立ち上げ資金50万両については、豪農・豪商の協力による出資を

あおぐとともに、「商社札」(今でいう株式)を発行し、資金を調達する。

 

伊那県商社は、具体的には生糸をはじめ県の特産物の流通ルートを県が

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