2016.06.21 [ 歴史・祭・暮らし ]
織田信長が伊那谷を訪れたことはあったか?
こんにちは!
戦国時代に、天下統一の礎を築いた武将、織田信長。
彼が伊那谷にやってきたことがあったのか、
『信長公記』を読んで調べてみました。
信長の長男、織田信忠は天正10年(1582年)武田攻めのため、伊那谷に出陣しています。
下の写真(及び地図)は高遠城攻撃の際、信忠が陣取ったとされる一夜の城跡(伊那市富県)。
ちなみに、信忠は
飯田市の開善寺から鐘を強奪して、高遠まで引きずってきたり、
諏訪大社を焼き払う等、
「それはひどくない?(+_+;)」ということもしたようです。
天目山の戦いで武田氏が滅亡した後、信長は諏訪に来ているので
(ここでとある事件が起こったと言われています)
信長が伊那に来るとすればこのあたりかな、とアタリをつけて読んでみます。
すると、
天正10年3月13日、信長が今の根羽村に陣を取り、
翌日、平谷を経由して浪合に陣を取ったことが書いてありました。
ここで武田勝頼父子の首が持参され、実検が行われました。
15日、16日飯田に駐留、さらに、
17日飯島で陣を取り、翌日高遠に陣を取ったことが書いてあります。
信長は1582年3月13日から18日まで伊那谷に来ていたんですね!
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