2013.03.27 [ 歴史・祭・暮らし ]
涅槃会・その如月(きさらぎ)の望月の頃【井月さんのこころ4】
井月さんのこころ シリーズ その4
歌人西行は、「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」と詠んで、そのとおり文治6年(1190年)2月15日73歳で没しています。仏教の開祖お釈迦さまの入滅の日である旧暦2月の満月の日は、出家した西行にとっては特別の日であり、同じ涅槃会(ねはんえ)の頃に死にたいものだと願ったとのことです。
今日ばかり花も時雨れよ西行忌 井月
井月さんは芭蕉を「我が道の神」と詠み、その芭蕉が崇敬していた歌人西行に心を寄せて、この句を詠んでいます。
駒ヶ根市火山峠、芭蕉の松の下にある井月碑「闇幾夜毛花能明りや西乃旅」
井月さん自らも、
闇(くら)き夜も花の明かりや西の旅 井月
涅槃より一日(ひとひ)後るる別れかな 井月
こうした句を詠んで、明治20年2月16日(新暦3月10日)、美篶村(現在の伊那市美篶)太田窪の塩原梅関宅にて没。享年66歳でありました。
井月さんが臨終の直近に筆を取ったのは旧作の「何処やらに鶴(たず)の声聞く霞かな」であったとされており、一般的にはこれが辞世の句といわれています。
以下、「闇き夜も花の明かりや西の旅」の評釈について、竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・、
西方の極楽浄土目指して旅立つ。闇夜でも花が咲いて明るく歩きやすいという。辞世と見られる内容。自分の死後を予知したか。全集後記によると、井月代筆梅関と署名したこの句の短冊があり、裏に梅関筆で「旧暦二月十六日 塩翁斎柳家井月居士」と認めてある。辞世は一つとは限らない。この句の碑が西春近法正寺及び東伊那火山峠、芭蕉の松の下にできた。直筆のない点は気がかりだ。
(花・春)
ちなみに、今年の旧暦の「如月満月」は3月27日(旧2月16日)今夜です。
伊那市法正寺境内にある井月碑「闇き夜も花の明りや西の旅」
最後は乞食同然になって漂泊し涅槃へ旅立った井月さん。晩年は自らを「落ち栗」や「枯れ柳」に例えたような句を詠んでいます。
井月さんを世に出したのは、下島空谷さんの「井月の句集」(大正10年)や高津才次郎さんとの集句の成果「井月全集」(昭和5年)。
でも、あまり陽が当たらなかった地方の埋もれた俳人。そこがまた井月さんらしいのですが・・・。
そして近頃、井月さんにもようやく春が訪れようとしています。
竜東・伊那市役所前の柳芽吹く 柳の上に如月上弦の月が見えています。(3月23日 月齢11.3)
前回(その3)の続き
東岸は既に芽吹きし柳かな 青巒
「東岸西岸之柳 遅速不同 南枝北枝之梅 開落已異」
(『和漢朗詠集』 慶滋保胤)
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