2015.12.19 [ 歴史・祭・暮らし ]
榾の明りに 【井月さんのこころ145】
曽て井月の饑寒の難を救ったこともあり、また俳諧も多少学んだと云われている人である。或る時廻って来たので酒を飲ませて、何か書くかと聞けば、書くと云うので唐紙を提供した。筆も道具も店の帳面付け用のものであった。一盃飲んでは書き、二盃飲んでは書いたものが、芭蕉翁幻住庵記である。無論記憶の儘を書いたもので、その頭脳の確かなのに驚いたとのことである。 (『漂泊俳人 井月全集』~奇行逸話より)
2013年3月16日 入神の書『幻住庵記』のように【井月さんのこころ3】
2013年12月14日 獣や大根に恩を感ずるように【井月さんのこころ39】
割烹食堂「水車」さんの今年版2015年「井月俳句カレンダー」の11月・12月に掲載されている井月さんの句を紹介します。
行暮(ゆきくれ)し越路や榾の遠明り 井月
以下、この句に添えられた春日愚良子先生の解説を引用させていただくと・・・、
榾火は家のなかの囲炉裏で焚いているのが障子に映っている。夕暮れ時の一家だんらん。
榾火の遠い明りは、即ちふるさとの越の国元を思い出させている。
「行暮し越路や」のやは万感がこもった「や」で、重い感慨がずっしりと胸の奥を突き上げている。
この「や」が、この作品の要であり、最も重要な役割をもっている。
さまざまな想いが凝縮して時間が確然と区切られている句である。
また、この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、
越路は北陸道の古名。越の国は福井・石川・富山・新潟の諸県だが、ここは井月の出身地新潟県の何処かであろう。歩いて行く途中で日が暮れる心細さ。囲炉裏にくべた薪がとろとろ燃える。榾の火の遠明りが障子越しに見えて懐かしい。一家団欒の日が蘇る。
若いころ越路をさ迷った際の追想か。心細さと懐かしさのない交ぜの句。
(榾・冬)
越の国といえば神代の昔、出雲族のオオナムチノミコト(大己貴命=大国主命)は、自らを祀る巨大神殿の建設を条件に大和族に国を譲りますが、国譲りに抵抗した次男のタケミナカタノミコト(建御名方命)は、タケミカヅチノミコト(建御雷命)との力比べに負けて、越の国(越前・越中)を通り、越後の上越から姫川を遡り、安曇平野を抜け、分水嶺を越えて諏訪湖の畔へ辿り着き、「御柱」に四方を囲まれて鎮まったと伝わります。これが信濃国一之宮諏訪大社の由緒になります。そして、結界を結んで荒ぶる神を鎮める祭り、これが、御柱祭の有力な起源のひとつであります。
信濃国一之宮諏訪大社の主神タケミナカタノミコト(建御名方命)が諏訪へ辿り着く前に、憑(たのめ)の里に暫く逗留し、その地に祀られているのが、我が産土神である信濃国二之宮矢彦神社であり、本殿には国造りのオホナムチノミコト(大己貴命=大国主命)とその長男コトシロヌシノミコト(事代主命)、副殿には次男タケミナカタノミコト(建御名方命)とその妃ヤサカトメノミコト(八坂刀賣命)、南殿には越後国一之宮弥彦神社の主神アメノカグヤマノミコト(天香語山命)とその妃オシホヒメノミコト(熟穂屋姫命)、北殿にはカムヤマトイワレビコノスメラミコト(神倭磐余彦天皇:初代神武天皇)とホムタワケノスメラミコト(誉田別天皇:15代応仁天皇)の8柱が祀られているのです。
タケミナカタノミコト(建御名方命)は、高志(越)王国の姫ヌナガワヒメノミコト(奴奈川姫命)を母として越の国(上越の姫川辺り)で生まれたとの伝承があります。
写真: 矢彦神社勅使殿(手前)拝殿(奥) と 「特格 天賜材式年造營神社」の碑
来春申歳に建御名方命を祀る信濃国一之宮諏訪大社上社で行われる御柱祭の御用材が辰野町の横川国有林から伐り出され、かやぶきの館に仮安置されていることについては、前々回その143で記しました。
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