2015.08.29 [ 歴史・祭・暮らし ]
穂屋祭の花野に 【井月さんのこころ129】
井月さんのこころ シリーズ その129
「処暑(8月23日)」が過ぎたところですが、22日(土)から23日(日)にかけて、秋の七草が咲き誇る花野に信濃國二之宮矢彦神社から御神体をお移しして行われる「穂屋祭」が辰野町小野の御射山神社で盛大に行われました。
今年は、我が隣組の休戸耕地5組と押野耕地3組、藤沢耕地当番が當屋(とうや)を務め、22日の午後、境灯篭を建て、山の口に幟を揚げ、参道のお庭草を刈り、鳥居や神殿に榊を立てて、注連縄を張り巡らして準備を整え、午後3時の予定より少し早めに矢彦神社へ御神体をお迎えに行きました。
拝殿で神事の後、普段は立ち入ることができない境内奥の御本殿から御神体の鉾、弓、矢を取り出し、2本の榊を先頭に軽トラックの荷台にお乗せして、御射山神社までお移し申し上げました。この順番で鳥居をくぐり、神殿にお移しして、神饌神酒を捧げ、3時半ころから矢彦神社の立澤宮司様の祝詞奏上による「着夜祭神事(宵祭り)」が執り行われました。
地区の長老の話しによれば、かつては芒の穂で葺いた狩り(仮)宮を建て、一晩中飲み明かした宵祭であったそうですが、この日は献杯程度で山を下り、少し日が短くなりだした夕方6時過ぎに境灯篭「奉献御神燈」にローソクの灯を点しました。
翌23日は、午後1時から本祭が執り行われ、矢彦神社の立澤宮司様の祝詞奏上に続いて神社総代会長、小野区長、小野地区長、小野山林組合長、駒沢3耕地総代代表の順に玉串の奉奠があり、小野地区長として柏葉の玉串を捧げ、地区の安寧を祈願して二礼二拍手一拝をさせていただきました。
天候にも恵まれ、駒沢地区(休戸・押野・藤沢の3耕地)を中心におよそ50名の氏子が参集して御射山神社の前庭で、御神前から下げて配られた芒の穂を背に挿して直会(なおらい)が行われました。御神前に供えられた献酒は、矢彦神社2升、小野地区会4升、小野山林組合2升でしたが、三つ盛(竹輪煮付け、切り烏賊佃煮、バナナ)を肴にして7升余りと、ほとんど飲み干してしまったようです。献酒は、もちろん先週も登場した『頼母鶴』です。直会のために拡げられたブルーシートは12畳分が3枚。
神迎え花野の御射山風渡る 青巒
午後2時半頃、御神体を神社にお帰しする「還行祭神事」を行なって、来年の當屋である休戸6組、押野4組の皆さんに片づけをお願いして、山を下り、休戸公民館で慰労会を行いました。これが所謂「勘定酒」といって3耕地で係った費用を5対3対2で清算する打上げ行事です。この日、午前中から三つ盛などの料理を準備した休戸5組の御婦人たちへの慰労会でもあり、こちらは、刺身やオードブルを肴に、ビール20本、酒、焼酎などの、これまた無礼講で、大いに盛り上がって無事に祭りに奉仕できたことを感謝しました。休戸は次回から6組が単独で當屋を務めることになり、次に廻ってくる5組の當屋は6年後、それまで皆さんお達者でと、押野3組組長の音頭による万歳三唱でお開きになりました。
古(いにしえ)から続く秋口の風封じ・虫封じと豊作祈願の祭りである穂屋祭が過ぎる頃、花野に秋風が吹き渡り、稔りの季節を迎えます。広大な富士の裾野で井月さんが詠んでいます。
方角を富士に見て行く花野かな 井月
以下、この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、
富士山の裾野の広大な原野。百花咲き乱れる秋。花を踏み分けて野を行く。遥か右手に富士山、青空に白い英姿。富士の見える方が西だ。何という大きな句だろう。花は春季、花野といえば秋季。「萩の花尾花葛花なでしこの花女郎花また藤袴朝がほの花 山上憶良」と万葉集にあるが、一本一本の花は地味だが、千草一斉に咲いた野は秋晴れのもと、はなやかにも淋しい。
(花野・秋)
井月さんが穂屋祭を詠んだ句は、遡回その24とその75に登場したこちらです。
芒さへ花と見られて穂屋祭 井月
(穂屋祭・秋)
2013年8月31日 七草咲く穂屋祭の頃【井月さんのこころ24】
2014年8月30日 秋を感じる頃 【井月さんのこころ75】
少し遡って21日(金)午後3時から県営ため池等整備事業 片桐地区針ヶ平ため池改修工事の竣工記念碑除幕式があり、玉串奉奠をさせていただきました。引き続き、竣工式・竣工祝賀会が七久保林業センターへ会場を移して開催されました。
写真の竣工記念碑は、碑文が飯島町の高坂宗昭町長の揮毫で、与田切川の花崗岩が使われているとのことです。
このブログへの取材依頼や情報提供、ご意見・ご要望はこちら
上伊那地域振興局 総務管理課
TEL:0265-76-6800
FAX:0265-76-6804