林務課のSです。
戦国時代のファンの方なら、1615年の大坂夏の陣で真田勢(大坂方)と伊達勢が激しく争ったことを知っている方も多いと思います。
しかし、その後しばらくして真田家(松代藩)と伊達家(宇和島藩)が縁戚関係になったことはあまり知られていないのではないでしょうか。
そこで今回は、大坂夏の陣の後の約60年間を略年表と系図を使って、長野振興局管内とその周辺にある領地(長野市、千曲市、中野市、飯山市など)を統治した松代藩の側から簡単に紹介したいと思います。
大坂の陣から43年経ち、1658年、真田信之は93歳でこの世を去りました。
この時代にしては、信之は長寿で、すでに4代将軍徳川家綱の時代でした。
さらに15年後、1673年、松代藩主(第3代)真田幸道に豊姫(宇和島藩主(第2代伊達宗利の娘))が輿入れしました。
一説にはその時、豊姫があんずの種を松代へ持参したことが、毎年千曲市で開かれる「あんずまつり」の由来となっているそうです。
また、このような縁があり、長野県千曲市と愛媛県宇和島市は姉妹都市となっています。
(略年表)
1615年 大坂夏の陣。真田幸村討死。
(その後元号を「元和(げんな)」に改元。)
1636年 伊達政宗没。
1658年 真田信之没。
1673年 松代藩主真田幸道に宇和島藩主の娘・豊姫が輿入れする。
(真田家と伊達家が縁戚関係になる。)
(略系図)
▲松代城本丸の状況(2022年3月撮影)
なお、2017年に愛媛県宇和島市にある「宇和島信用金庫」様が社会文化への貢献活動として、次のような絵本を制作されています。
・絵本「伊達宗利の娘 豊姫物語」
(宇和島信用金庫様 掲載了解済み)
この絵本を読むと、
① 大坂夏の陣の際、真田家と伊達家は争ったものの互いに尊敬していたこと、
② 豊姫が松代へ来た経緯など
を豊富な絵や写真でわかりやすく知ることができます。
よろしければ皆さんも絵本をダウンロードして読んでみてください。
最後まで御覧いただきありがとうございました。
■参考・引用文献
・絵本「伊達宗利の娘 豊姫物語」
・2017年6月のちくまトピックス
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