みなさんこんにちは。商工観光課のWです。
今日は大桑村歴史民俗資料館で開催中の『奥野宏「大桑焼」展』にやってきました。
奥野宏さんは、現在大桑村の地域おこし協力隊としても活動されている陶芸家です。
「大桑村で陶芸?」と思われる方もいるでしょうか。
実は、大桑村は縄文時代の遺跡がいくつも発掘されている村なのです。
今回の会場の大桑村歴史民俗資料館でも、常設で土器の展示を見ることができます。
土器=陶芸でもありますよね。
さっそく『「大桑焼」展』を拝見。
大桑村でとれた石をそのまま焼いたり…大桑村の土の上にヒノキの灰釉を乗せて焼いたり…。
かわいい人形があったり。きれいな形の器があったり。
しげしげと見てしまうものから、クスッと笑えるものまで、いろんな作品がありました。
今回お時間をいただいて、奥野宏さんにお話をお伺いすることができました。
―奥野さんは土とお話ししたりしますか。
話はしないですね。
陶芸の原体験は、幼稚園の頃です。つるつる団子をつくって、土を触っていた記憶があります。今でもその頃のことが思い出されるのです。
陶芸することは、日記のようなものです。日々の記憶…例えば自分の子どもに「早く寝ないと天狗が来るぞ」と言ったとします。その後、土を触っているときに、ふとその記憶がよみがえって、天狗を作ったりします。
いまの自分たちの記録をする、という感覚は、大桑村で出土した土器「悠久のほほ笑み」にも通じるものではないでしょうか。
―どうして大桑村に来たのですか。
大桑村では縄文時代の遺跡が50以上発掘されています。それを知って、大桑村にやってきました。
大桑村に来る前は、メキシコに10年間行っていました。レストラン等から注文を受けて器をつくっていた最後の1年は、つるつる団子を作っていた頃の記憶がなくなっていたのです。
器に用途があるように、置物にも用途があります。例えばお店にインテリアとして置く場合は置物にも用途が発生しますよね。弥生時代に入って装飾のない実用的な形の土器が普及しましたが、縄文時代にはそういった装飾的なものも多かった。
このあいだ、大桑村の中学校から講師を頼まれ、陶芸の授業をやりました。家から畑などの土を持ってきてもらって、陶芸用の土と2対8で混ぜて、1200℃から1300℃で焼きました。そういう村の身近な土を使って、作品を作ることができます。
岐阜県多治見市や愛知県常滑市など陶芸で有名な木曽川下流域の都市一帯には、その昔、木曽から流れる川が流れ込む大きな湖がありました。木曽の地層は花崗岩でできていて、それが流れて下流の湖に堆積し、陶芸に適した土がとれるのです。
陶芸は料理みたいなものです。長石7割と灰3割を混ぜると釉薬(ゆうやく※)ができる。長石は高温で焼くと溶けてガラス質になるのです。土の中の成分によって、焼く温度も変わりますし、出来上がりも変わります。
料理も好きで、学生時代に飲食店でアルバイトとして働いていました。器は料理の着物だという言葉に出会い、器というものに惹かれていきました。
(※陶芸作品の表面を覆うガラス質の部分のこと。 「うわぐすり」とも呼ばれます。 )
―大桑村のいいところは何ですか。
眺めがよく、いい土があるところです。陶芸用のいい土があります。
―今後やりたいことは何ですか。
ギャラリーとして改修中の古民家を居心地よくしたい。地元の大工さんに教わりながら、少しずつ改修しています。あとは、有機栽培で田んぼを作っている最中なので、お米や野菜など食べるものを作るということもやっていきたいです。
陶芸や土といった奥野さんのお話をお聞きしていると、今と昔と未来がごちゃ混ぜになって、くらくらするような感覚を覚えました。
今現在に生きている私たちが、太古の地球が生んだ土を使って、未来へ「いまの記憶」として陶芸という形で伝えていく…。叫びだしたいような気持ちです。
なによりも、「言葉ではなく陶芸という形で記録する」という奥野さんの言葉に、言葉でない方法で伝えることができるのか!と、なんだかほっとしました。
奥野さんの展示会は7月31日まで開催中です。ぜひご来場ください。
〇 奥野宏さんのinstagram
https://www.instagram.com/okuno_hiroshi/
〇 大桑村歴史民俗資料館サイト
http://www.vill.ookuwa.nagano.jp/kyouiku/kyouiku/rekishiminzoku_shiryoukan.html
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