2025.07.08 [ 歴史・祭り・ひと ]
木曽路を歩く⑱
総務管理・環境課のとうふです。
不定期に更新している本シリーズ第18回です。
今回は、野尻宿を出て三留野宿までをレポートします。
野尻駅をスタート。
今回はいつもと異なり、景色がきれいだった駅構内の写真を載せています。
ここでお気づきの方もいるかと思いますが、歩いたのは4月中旬、桜の全盛期です。
気が付いたら歩いてから3か月経ってしまいました・・・
下在郷(しもざいごう)一里塚跡
江戸から77番目。野尻宿を出てすぐのところにあり、石碑のみです。
雰囲気のある細い道。遠くには大桑村の名所の一つ、阿寺渓谷の入口も見えます。
阿寺を過ぎたあたりで中山道の草道が残っています。
写真の左側、林の中に、奥へ向かって伸びる細い道が見えるでしょうか?
ただ、こちらは現在では通れず、右側の舗装路をひたすら線路と並走します。
1.5kmくらい線路と隣合わせです。
大桑村を抜け、南木曽町へ入ります。ここで、中山道は山側へ移動します。
写真のガードレールが伸びているそこそこ急な坂を上るのですが、ここで国道横断があります。
横断歩道はありませんのでご注意ください。
十二兼(じゅうにかね)の集落を抜け、再び道は線路へ、そして木曽川へ近づいていきます。
ガイドブックではここで「鉄道と国道下を通る歩道を渡る」とあるのですが・・・通行禁止の立て札がされています。
ここを通るのはやめておきましょう。すぐ近くに踏切があり、簡単に迂回できます。
十二兼駅。今回の行程では通過駅です。
駅のすぐ近くにミツバツツジでしょうか、綺麗に咲いていました。
十二兼一里塚跡 周辺
江戸から74番目。石碑は国道沿い、写真の右に見えている信号のすぐ近くにあります。
よって中山道のルートを歩いていると見ることができません。
中川原峡
「南寝覚」とも呼ばれる景観地です。本家「寝覚の床」(上松町)に比べて、広範囲に花崗岩が広がっています。
川の色も澄んだ青緑色をしており、個人的には「寝覚の床と阿寺渓谷を足して2で割った景観地」といった印象です。
写真奥へ伸びる川は柿其渓谷へ続きます。
ここを過ぎると、中山道は今回初めての国道区間です。ここまで国道がなかったので、穏やかに歩けて助かりました。
羅天の桟道
中山道の桟は、上松町の「木曽の桟」が有名ですが、ここ羅天もまた崖沿いを通る中山道の難所だったそうです。
この難所を回避するため、野尻から三留野まで山の中を通る迂回路「与川道」が開かれています。
そんなかつての難所も、現在ではコンクリートで広く固められ、国道、そして鉄道が通ります。
金知屋(かなちや)一里塚跡 周辺
写真右側の線路沿いに大きな松の木がありますが、その下に一里塚跡の石碑があるそうです。
石碑を見るには線路横断をする必要がありますが、危険なので避けるべきかと思います。
国道横断② 例によって横断歩道はありません。
ガードレールの切れ目から、反対側の細道へ向かって走ります。
この先は三留野宿まで上り坂です。ゴール直前に待ち受ける上り坂に息を切らしながら進みます。
なんとか到着しました。三留野宿です。ここから先は次回でお届けします。
今回の区間は前回から引き続き、全区間舗装路でしたが、国道区間が短かったので歩きやすかったです。
全体的に道が細めで車どおりも少なく、当時の道が今も生き続けているのだと感じられました。
ただ、後半2か所の一里塚石碑が歩道沿いに存在していないのは少し残念でした。
なお、これまでの宿場・鉄道駅とは異なり、三留野宿と最寄りの南木曽駅は1kmほど離れています。
無事に帰路につくにはもう少し頑張って歩く必要がありますので、同じコースで歩く場合は宿場で力尽きないようにしましょう。
歩行記録のコーナーです。
野尻駅~三留野宿~南木曽駅までが含まれます。
実は今回、GPS不調により記録がうまくいきませんでした。
キロ数は多めに出ていると思われます。それでもなかなかの長距離でした。
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