2014.08.16 [ 歴史・祭・暮らし ]
暑さも峠を越す頃 【井月さんのこころ73】
井月さんのこころ シリーズ その73
暦は、立秋を過ぎて旧盆。
まだまだ残暑が続きます。
熊谷に負けぬ暑さや昨日今日 青巒
「春日愚良子句集」から
けふ越えてあす以後知らぬ夏峠 愚良子
暑さ凌ぎに打ち水をしても足りなければ、いっそ。と、
井月さんは、詠みます。
誰かある暑さ凌ぎに川越む 井月
この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、
誰かいるか、暑くてたまらん。暑さ凌ぎに川越えをしようじゃないか。川を歩いて越えようとは若い井月だ。
「夏河を越すうれしさよ手に草履 蕪村」水量の減った河を歩いて渉る。昔は橋が少なかったり、流されたりで、やむを得ず渡渉が多かったが、これは水に親しみたくてする。
(暑さ・夏)
井月さんが川越えしようとしたのは、若い頃のことでしょうか。
まさか、天竜川の浅瀬を渡ろうとしたのではないのでしょうが……。
井月さんが伊那谷を漂泊した当時は、盛んに天竜川を上り下りする帆船が通っていた頃で、本流には渡れる浅瀬もなかったようです。
伊那市入船に「史跡天竜川船着場」の碑が建っており、天竜川通船の由来が記された表札が立っています。
それによると、通船が始まったのは、井月さんが生まれた翌年の文政六年(1823年)頃のことで、明治四年(1871年)「伊那県」の調べで伊那谷に五十艘の船があったことや、井月さんが没して20年近く経った明治三十九年五月末まで入船(現:伊那市)と時又(現:飯田市)の間を定期船(帆船)が就航していたことなどが記されています。
柳から出て行舟の早さかな 井月
この句は、季語が「柳」で春の句ですが、井月さんが詠んだ俳句の中でも代表的な秀句であると愚良子先生は指摘されています。
夏に柳の下から出て行く帆かけ船も涼しげで良いと思うのですが……。
このブログへの取材依頼や情報提供、ご意見・ご要望はこちら
上伊那地域振興局 総務管理課
TEL:0265-76-6800
FAX:0265-76-6804