上田保健福祉事務所のヤマキチです。紅葉が終わり冬はもう目の前です。寒くなる前に、東御市・小諸市境から上田市・坂城町境までのじょうしょう気流管内の北国街道を歩いてみました。ちなみに北国街道は、軽井沢町追分で中山道から分岐して始まり、善光寺を経由し新潟県出雲埼まで続きます。街道歩きは初めてですので、信濃毎日新聞社から出版されている「北国街道を歩く」(岸本豊氏著)を持参して歩いてみました。管内の距離は22km位ですので、一日で歩けるかと思いましたが、史跡を確認したり迷ったりと中々ペースが上がらず、日が短いこともあり結局2日をかけて踏破しました。
一日目は、しなの鉄道線滋野駅で下車し、北国街道の東御市・小諸市境を流れる平沢川まで移動しスタートします。
(滋野駅から平沢川へ行く途中から見た初冬の浅間山)
(東御市・小諸市境の平沢川の上、ここから西に向かってスタートします。)
車がやっとすれ違いができるような道を、先が長いのでどんどん進みます。おもちゃドクターの店や双体道祖神を見て大石沢川にかかると、街道から一段下がったところに「天百沢の目鏡橋」という標識があり、よく見ると街道が手前で上流側に少しう回した跡があります。戌の満水で街道が侵食されたため、街道を上流側にう回させたこと、明治時代に武田久之助氏が私財を投じ目鏡橋を造り街道をもとに戻したとのことです。
(早速、双体道祖神が2基などがあります。)
(天百沢の目鏡橋、当時はこの川を渡るのが大変だったそうです。)
街道沿いらしい民家を見ながら進むと、「北国街道 牧家の一里塚跡」の石碑があります。碑の説明には、江戸から43番目の一里塚、塚に雷電の碑があったが別の場所に移されたこと、塚は形を失っていることなどが書かれています。
(街道沿いらしい民家)
(牧家の一里塚跡の石碑、塚は現存していません。)
そして、その「力士雷電の碑」が現れます。碑の説明には、碑を欠きとって身につけると立身出世する、勝負ごとに勝つ等の迷信が生まれ、碑を打ち欠いて持ち去る者が多く、碑文が読めなくなり新しい碑が建てられた旨が記載されています。
(右が古い碑、左が新しい碑)
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