そして、「明治天皇牧家小休所の碑」を見て加沢地区に入っていくと、雑木林や庭に大きな石がある家が多くなります。これらは戌の満水で田中地区や加沢地区を襲った土石流で運ばれた石と、その土石流が流れた場所が雑木林として残っているそうです。
(明治天皇牧家小休所の碑)
(雑木林帯を横切る。街道右側の木の下に大きな石が2つ見えます。)
(一段と大きい加沢の大石)
そして、常田南交差点を横切り、田中宿へ入っていきます。田中宿は平成に入り街並みを近代化させ、広く明るい街並みが田中駅まで続いています。
(田中宿、古道の面影はなし。)
(田中宿、田中駅近くから)
田中宿には、北国街道から少し外れますが、「常田の剣持道祖神」と「石造りの仁王像」がありますので寄ってみます。
「常田の剣持道祖神」は常田公民館近くにあり、小ぶりの双体道祖神と大きめの新しい双体道祖神があります。また、右に道祖神のお経が彫られた碑がありますが、道祖神そのものの説明はありません。
(常田の剣持道祖神)
少し移動したところにある薬師堂に「石造りの仁王像」があります。左側の仁王像は雷電の母親が奉納したもの、右側は雷電自身が大関に出世した後に奉納したもので、朱色がとても印象的です。また、この向かいには戌の満水塔、石尊大権現、道祖神、お地蔵さん、祠などがあります。戌の満水のいわれとして、北山が崩れ土石流となり田中宿を襲い多くの人命が奪われたこと、復旧に60年を要したことなどが書かれています。
(石造りの仁王像)
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