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佐久市臼田総合運動公園の「造林記念碑」をご紹介します。(その2)

佐久地域振興局林務課のSです。

佐久市臼田総合運動公園にある「造林記念碑」について連載させていただきます。

前回は、「造林記念碑」で、明治時代に、佐久市(旧臼田町)の有志者の仲間がつどい、森林整備に係る組織をつくり、有志者が215人に増えたことを碑文から読み取れることをお話ししました。

今回は、このあと、この場所の森林整備がどのように行われたのかを解読したいと思います。

≪造林記念碑の現代語訳(その2)≫

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造林記念碑 白文(2)

爾来従植林之経営実廿余年矣其間雖幾有総代乃交

迭而未嘗翻其初志至是林樹漸長鬱蒼成雲是同雖同盟者協力

苦辛之所至然亦総代諸氏之功与居多焉明治三十八年三月受立

木並土地之払下林地全為同盟者共有大正二年四月一括造木

而鬻之

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※造林記念碑の碑文の拡大写真(「協力」等の文字を読み取ることができます。)

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造林記念碑解読文(読み下し文)②

爾来(じらい)植林の経営に従い、実(じつ)に二十有余(ゆうよ)年、その間幾(いく)総代(そうだい)の交迭(こうてつ)有(あ)りと雖(いえど)も、未(いま)だ嘗(かつ)てその初志(しょし)を翻(ひるがえ)さず是(これ)に至(いた)り、林樹(りんじゅ)漸(ようや)く長(ちょう)じ鬱蒼(うっそう)雲と成る。

同盟者(どうめいしゃ)協力(きょうりょく)苦辛(くしん)の致(いた)す所(ところ)と雖(いえど)も亦(また)総代(そうだい)諸氏(しょし)の功与(こうあずか)り多くあり。

明治三十八年(1905年)三月 立木(りゅうぼく)並(なら)びに土地(とち)の払(はら)い下(さ)げを受け林地(りんち)全(すべ)て同盟者の共有となる。

大正二年(1913年)四月 造木(ぞうぼく)を一括(いっかつ)してこれを鬻(ひさ)ぐ。

 

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造林記念碑 (現代語訳)(2)

それ以来、植林地の経営を進め、実に二十年あまりの間、総代が何代にもわたり交代したが、一度もその初志をくつがえすことはなく、その結果、植林した樹木はだんだんに成長し、まるで雲のように鬱蒼と茂るようになった。

これは、同盟者が協力し、苦しく辛い経験を重ねて到達したものであるが、同様に総代の皆さんの貢献も多大なものがあった。

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