野麦峠を目指して
「飛騨鰤」が野麦峠を通って松本・安曇野地域へ運ばれていた当時を思い、野麦峠を目指
しました。
長野県史跡に指定されています。
旧野麦街道(長野県) 旧野麦街道:展望台まで10分くらい(岐阜県)
野麦峠(標高1,672m)からの眺め 映画「あゝ野麦峠」の舞台にもなりました
野麦峠に関する雑学・考察
(1)「飛騨鰤」と呼ばれていたので、当時、飛騨に海があると思っていた人がいた
そうです。
(2)野麦峠にある「お助け小屋」は、幕末から明治にかけて「お助け茶屋」として、
一徹な白髪の老婆が一人で暮らしていて、ソバ湯やソバ餅、甘酒などを売って、峠を
行き交う人々をもてなして親しまれ、峠にはなくてはならないものだったそうです。
(3)当時、野麦峠を行き交うものは、長野県からは米や清酒など、飛騨からは鰤は
じめ海産物、塩、曲物だったそう。かつて、「筑摩県」に飛騨地方が含まれていたこ
とからも、生活の繋がりはとても深く、重要な街道だったと言えると思います。
(4)「お助け小屋」には、食堂や映画「あゝ野麦峠」を偲ぶ展示品が展示されてい
ます。地元高根地区には郷土食「すな」があり、食堂で提供されています。「すな」
とは赤かぶの漬物で、塩分を使わずに乳酸菌で漬けた発酵食品。漢字では「酸菜」
と書き、木曽の「すんき」と同じ。(「すなそば」美味しゅうございました)
結 び
安曇族を始とする先人は、「年取りに鰤を食べる、食べたい、のために、稲作に情熱
を傾けた。何としても飛騨鰤を食べたかった。」だろう、と結びたいと思います。
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