11月28日(木)に、豊かな環境づくり松本地域会議(事務局:松本地方事務所環境課)が主催して「水巡りアクアツアー」を開催しました。
このツアーは、これまで地域の治水・利水に関わってきた地点を巡ることで、「水」の大切さや、その実態を学び、水資源に対する意識を高めることを目的として開催されたものです。
拾ヶ堰
朝9時、肌寒いなかではありましたが、申込みされた参加者等28名がバスで松本合庁を出発しました。
最初の目的地は、松本トンネルの上部にある、一千舎展望台です。
ここでは、松本盆地を見ながら、拾ヶ堰土地改良区の青柳さんと松本地方事務所農地整備課の職員から拾ヶ堰の概要について説明を受けました。
一千舎展望台からの景色です
拾ヶ堰の位置が示されたパネルを使って説明していただきました
拾ヶ堰は、今から約200年前の1816年に作られた、奈良井川の取水口から烏川までの15kmを流れる農業用水路です。
今でこそ安曇野市は、水資源が豊富で、県内有数の米どころとして有名になっていますが、江戸時代までは、水不足で米を作ることができず、当時の農民は非常に貧しい生活を送っていたそうです
そんな状況を打開するため、当時の柏原村の庄屋だった等々力孫一郎等数名の人物が中心となって、奈良井川を取水口とする堰を作りました。
この堰が拾ヶ堰と呼ばれるようになるわけですが、その名前の由来は、柏原村をはじめとする10(拾)の村を潤したために「拾ヶ堰」と名付けられたそうです。
この拾ヶ堰の驚くべきポイントは、200年前という現代のような高度な土木技術がない時代に1/3000の勾配を保ちながら15kmにも及ぶ水路を作ったということです。しかも、工期はたったの3ヶ月だったそうです。
この1/3000の勾配は30m行って1cmという緩やかなもので、大変緻密な技術が求められたことがわかります。
この工事成功の立役者が、平倉六郎右衛門という人物であり、六郎右衛門の正確かつ緻密な測量が、拾ヶ堰工事が成功した大きな要因であると言われています。
この拾ヶ堰ができたことで、約1000haに及ぶ田を作ることができるようになりました。
1000haの田では、10万人の1年間の消費量に値する米を作ることができると言われています。今の安曇野市の人口が約10万人なので、単純計算で、安曇野市民の1年分の米を拾ヶ堰が担っていることになります。
こう考えると、拾ヶ堰の恩恵がいかに大きいかがわかります。
私たちの生活は、先人の苦労によって支えられているのだということを考えさせられます
続いて拾ヶ堰の取水口、いわゆる「頭首口」へ行き、奈良井川からの取水の様子について説明を受けました。
頭首口ゲート
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