2011.12.19 [ 歴史・祭り・ひと ]
清博士~安倍晴明の墓~
清博士(せいばかせ)、この地が何故そう呼ばれるのか。
それは、平安時代、関白藤原道長に仕え、中国の陰陽五行説により天体観測の暦の作成、時の測定や筮竹(ぜいちく)などによる吉凶の占いを仕事としていた実在の陰陽師(おんみょうじ)、安倍晴明(あべのせいめい)の墓がここにあることからだそうです。
晴明の像(後に建てた物)と、そのお墓(五輪塔)
終焉の地が此の地という確たる証拠はないものの、古来、人々は墓といわれる二基の五輪塔を晴明様と呼んで、五穀豊穣や、家内安穏を祈り、その名声を語り継いでいます。
故に、ここは晴明の墓があることから晴墓士(せいばかせ)と呼ばれているそうです。
明治七年に、今の清博士と改められたそうです。
余談ですが、晴明像は、見る角度によって姿を変える神秘的な像です。
何かに似ていませんか?何故このような形なのでしょうか?
晴明の父、安倍保名(あべのやすな)と、母、葛の葉(くずのは)との物語「信太妻(しのだつま)」を調べると、きっとこの形が何かわかるとともに、納得をしていただけるのではないかと思います。
そんな神秘的な時間をもたらしてくれる清博士~安倍晴明の墓~
木曽町にお越しの際は、是非ご覧ください。
【清博士の場所はこちらです】
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