2014.11.08 [ 自然・山・花 ]
紅葉狩りの頃 【井月さんのこころ85】
井月さんのこころ シリーズ その85
7日(金)は、閏九月十五日の満月、大安吉日で立冬とも重なり、暦の上では冬に入りました。 紅葉は山から里へ降りてきました。
春日公園にて (シベリア強制抑留者慰霊之碑、馬頭観世音碑)
シベリアに散りし御霊やいろもみぢ 青巒
11月は、「子ども若者育成支援強調月間」です。 長野県では、青少年は地域社会からはぐくむ「ひまわりっ子育成県民運動」を推進しており、管内8市町村それぞれに街頭啓発を行っています。
写真は、伊那市美篶公民館前で2日(日)開催された美篶地区文化祭の来場者に青少年健全育成を呼び掛ける街頭啓発の様子です。
4日(火)夕方、辰野町のデリシア辰野店前で、町教育委員会や子育てマスター、保護司などの皆さんと一緒に啓発活動を行いました。
遡って2日(日)午後、中尾歌舞伎の秋季定期公演が伊那市長谷の中尾座で開催されました。
演目は「神霊矢口之渡 頓兵衛住家之段(しんれいやぐちのわたし とんべいすみかのだん)」。
あらすじ
今から650年前、相模と武蔵の国境、六郷川(多摩川)の矢口の渡し。渡し守の頓兵衛(とんべえ)は、褒美の金欲しさに足利方の手先となり、新田義興(よしおき)を溺死させた強欲者です。この家に一夜の宿を求めて新田義興の弟義峰(よしみね)と遊女のうてなが訪れます。二人は恋人で追っ手を逃れて故郷新田郷へ落ち延びるために来たのです。
頓兵衛の娘で、父とは似ても似つかぬ気立てのよいお舟は、初めのうちは断りますが、気品ある義峰に一目ぼれしてしまいます。連れのうてなは妹と聞き、積極的に義峰に迫ります。ところが不思議な力によって二人は気を失いその場に倒れます。
うてなはこれを見て、すぐに夫の所持する新田家の白旗のたたりだと気がつき、旗を掲げて拝むと二人は息を吹き返します。これを見ていたのが頓兵衛の下男の六蔵です。お尋ね者の義峰と気が付いた六蔵はすぐにも奥の部屋に踏み込もうとしますが、お舟は、彼女に気がある六蔵をなだめすかし、自分の手柄とせず、父頓兵衛と二人での手柄にするよう説得し、時間を稼ぎます。
しかし、六蔵から話を聞いた頓兵衛は金目当てに、鍵のかかった我が家へ、壁をくりぬいて押し入り、暗闇の中を忍んで床下から義峰を狙います。<ここで場面が変わる>
手応えを感じた頓兵衛が刀の先を見ると、そこには娘の苦しむ姿がありました。兄義興の最後を知りたい義峰は、お舟を抱いてしまったのです。
お舟は自ら義峰の身代わりとなり、足利に見方する父頓兵衛を裏切って彼らを逃がしたのです。二人はこの世では一緒になれなくても、来世で一緒になろうと約束していたのです。それを知った頓兵衛は、説得のため立ちふさがる娘お舟を切り捨て、合図のノロシを揚げて後を追って行きます。
瀕死のお舟は二人を逃がすため、櫓にある合図の太鼓を打てば、捕まったという知らせで、包囲網が解かれることを思い出し、それを止めようとする六蔵を刺し殺し、最後の力を振り絞って太鼓を叩いて追手を欺きます。
落ち延びようと必死な義峰とうてな、逃そうとするお舟のいじらしさ、邪魔をする六蔵のひょうきんさ、そして打ち取ろうとする頓兵衛の大立ち回り。それぞれ熱の入った名演技に盛んにおひねりが飛び交っていました。
さて、この物語に登場する「神霊」とは矢口之渡で謀殺された新田義興(新田義貞の次男)の怨霊。義興は南北朝時代に宗良親王(むねながしんのう)を擁して南朝の復興に尽力した武将で義峰の兄。宗良親王といえば、前々回その83に登場しましたね。
伊那市長谷溝口の常福寺には、宗良親王の尊像が安置され、その裏山には宗良親王の墓石が祀られているとのことです。
「昭和15年5月12日長谷溝口の常福寺本堂屋根裏から僧形の宗良親王の坐像とその胎内中に古文書が発見され、その後常福寺に近接する御山に親王の子の尹良(ユキヨシ)親王が墓所を造営し無縫塔を祀ったことが判明した。宗良親王が南朝の再興をかけて山城をめぐり峠を超えてこの地を行き過ぎられた往時の御姿が偲ばれる。なお現在も当溝口地区では春と秋に宗良親王奉賛会を開いている。」 溝口郷づくり会HPから
宗良親王の終焉の場所については、前々回その83に登場した大鹿村大河原釜沢と、ここ伊那市長谷溝口のほかにも、長谷入野谷説や遠江国井伊城説など諸説があるとのことです。
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