井月さんのこころ シリーズ その16
夏が来れば思い出す、腹に鮮やかな赤い斑点があるアメノウオ(アマゴ)を素手で捕まえたり、石を捲って頭でっかちなカジカをヤスで突いたりした子供の頃の遠い記憶。
川べりの合歓(ねむ)の木には、穂先が赤い花がいっぱいに咲いていました。
星影は網にこぼれて鯇(あめのうを) 井月
ささ鯇(あめ)は子供にまかせよ棭(ねぶ)の花 井月
合歓の赤い花が咲くと、子供の頃のことを懐かしく思い出す。近くを流れる駒沢川によく洞掴み(うろづかみ)に行った。
石の下の洞に潜む「ハヤ」や「アメノ」を素手で捕まえるのだが、小さい頃は近所のがき大将に付いて行って、見よう見まねで試みるが、触ったとたん、直ぐに逃げられてしまい、なかなか捕まえられない。
それでも、川へ何度も通ううちに何処の洞にいそうか、およそ見当が付き、追い込む洞の大きさや形を自分で造り変えることにも夢中になり、夏休みには日がな川に浸かって遊んだものである。
そして、格闘のすえ、尺物のアメノを捕まえたものなら、近所に触れ回って自慢して見せて歩いたものである。
(鯇・夏)
さて、前回(その15)「繭」の句の評釈で、竹入弘元さんが「不破の関」について、「壬申の乱、関ヶ原の戦の古戦場でもある。」と書いておられましたね。
西暦1600年の「関ヶ原の戦い」は誰もが御存知であろう、東軍の徳川軍が西軍の豊臣軍を破って、家康が天下取りに成功した戦です。
一方、「壬申の乱」も天下分け目の関ヶ原で、西暦672年、大海人王子(おおあまのおうじ)軍が甥で近江朝の大友王子(おおとものおうじ)軍を破って天下を平定し、翌年飛鳥浄御原宮で天武天皇(西暦673~685年)として即位し、称号も従前の大王(おおきみ)から天皇(すめらみこと)へと変わって、大和政権が磐石になった大戦でした。
信濃からも東軍としてたくさんの兵馬が参戦したそうです。
上伊那郷54か村の総鎮守である信濃国二之宮 矢彦神社(辰野町小野)の7年目毎に行われる式年御柱大祭は、その天武朝が成立して間もない白鳳2年(西暦674年)初めて朝廷から勅使が下向して新宮を造営し、卯歳と酉歳とに正遷宮祭を式年祭として行うことに定めたと伝わります。
前回の平成23年(2011年)卯歳は224回目の御柱祭でした。
矢彦神社境内 手前に一之御柱、奥に二之御柱、中央手前から神楽殿、勅使殿、拝殿の順に並ぶ。
神楽殿:立川富昌(二代)作 1842年 拝殿:立川富棟(初代)作 1782年
六道の何処を照らす飛ぶ蛍 青巒
蛍舞う兵どもが夢の跡 青巒
長野県教育委員会メールマガジン
-平成24年(2012年) 3月号- から
このブログへの取材依頼や情報提供、ご意見・ご要望はこちら
上伊那地域振興局 総務管理課
TEL:0265-76-6800
FAX:0265-76-6804