「立川流建築に学ぶ」
南信は文化財の宝庫である。何日か文化財パトロールに同行した。
印象に残ったのは立川流建築群。そのひとつ、茅野市にある白岩観音堂
は、現存する立川流建築では最古のもの。もうひとつ、駒ヶ根市光前寺
の三重塔。南信濃に残る唯一の三重の塔で、いずれも県宝指定である。
ちょうど昨年は、我が産土神である信濃国二之宮矢彦神社の御柱祭の
歳であったが、辰野町小野に鎮座する矢彦神社も、拝殿・回廊・神楽殿
などが県宝指定で、立川親子二代によるもの。拝殿は龍や獅子などの彫
刻が見事で、初代富棟39歳(1782年)の作。出世作でもある諏訪大社下
社秋宮幣拝殿の2年後に完成。そして神楽殿は、木鼻の獅子などの彫刻
が拝殿に比べて形が小さく地味で、二代目が父親の顔を立てるため簡素
に仕上げたものだと言われている。「幕末の左甚五郎」と呼ばれ、幕府
から内匠(たくみ)の称号を許された富昌61歳(1842年)の作である。
同様に、華麗な彫刻の諏訪大社下社秋宮幣拝殿は、初代富棟が37歳の
年に残しているが、半世紀後、二代富昌はそれに調和させ、かつ、それ
を引き立てるべく「彫刻なし」の荘重な三方切妻の秋宮神楽殿を54歳で
完成させている。
富昌の彫刻で秀逸なものは、立川流の総力を挙げ8年の歳月を掛けて
ほぼ同時期に完成させた諏訪大社上社本宮幣拝殿に見られる。
これらの大社建物は、いずれも国の重要文化財に指定されている。
「簡素」と「華美」の両端の美意識を極め、南信にとどまらず全国の寺
社や山車彫刻に花開いた信州諏訪発の優れた文化である。
また、これら神楽殿にみられる「謙虚さ」の中には、親から子へ、師
から弟子へ、生きた道徳心や向上心が、技術と共に引き継がれ、伝統が
生み出され、文化として育っていく「真の学びの心」を、そして師弟の
絆を大切にし、寺社建築を文化の域にまで高めた諏訪立川流という職能
集団が輝いた時代の「前向きなエネルギー」を感じとることができる。
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