2013.05.05 [ 歴史・祭・暮らし ]
歌舞伎名場面におひねり飛ぶ頃【井月さんのこころ9】
井月さんのこころ シリーズ その9
春、菜の花の黄色の絨毯が東西二つのアルプスの真っ白な残雪に映える頃、伊那谷では農作業が始まります。
(菜の花:東伊那)
山々に現れる雪型は春の種まき等の目安とされてきました。
特に、中央アルプスの「島田娘」は有名ですね。
(島田娘)農事暦としての雪形(ゆきがた):駒ヶ根市HP
菜の花に遠く見ゆるや山の雪 井月
菜の花の径(こみち)を行くや旅役者 井月
以下、後者の句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、
江戸時代末期の頃から、全国的に農村に歌舞伎や人形浄瑠璃が流行し、明治半ばころまで殊に盛んだった。村人自ら演じて楽しむとともに、プロの芝居を買うことも多くなった。旅役者の一行の姿が菜の花の咲いた径に見かけることも珍しいことではない。
こういった無造作な句にも時代は反映している。
(菜の花・春)
井月さんを世に出した下島空谷(勲)さんは、中沢村(現在の駒ヶ根市東伊那中沢)の出身でお医者さん。
その空谷さんが残した「井月の追憶と春の句」に、『家人が芝居見物に出かけた留守宅に井月さんと祖母の姪の夫が上がりこみ、酒と肴をたらふく飲み食いして、杯盤狼藉の末に、付け木に発句を書いて去ってしまった。』という、空谷さんが子供の頃の井月逸話がでてきます。
農村へ東京から千両役者がやってきたというので、留守を命じた筈の女中までもが芝居見物で居なくなり、その留守に上がり込んだ井月さん。
はて、さて・・・。
農作業が本格化する前のひと時の農村の楽しみは、芝居見物だったのでしょう。
4月29日(昭和の日)、伊那市長谷の中尾座で中尾歌舞伎保存会による春季定期公演が開催されました。
演目は「御所桜堀川夜討 弁慶上使の段」。
兄・頼朝から謀反の疑いをかけられ、正室・卿の君(平時忠の娘)の首を差し出すように求められている義経のために懐妊中の卿の君がいる乳母宅へ上使として来た弁慶。
乳母夫婦と相談して、卿の君に年格好が似た腰元の信夫(しのぶ)の首を差し出すことに。
主人のため、障子越しに信夫を刺してしまう弁慶。
実は信夫こそ、18年前に一夜の契りでできた弁慶の実の娘。皮肉な運命のいたずらに大粒の涙をこぼす弁慶。
名演技に、たくさんのおひねりが飛び交っていました。
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