2016.08.31 [ 歴史・祭・暮らし ]
~鉾持桟道の戦い~
こんにちは。
みなさんはNHK大河ドラマ「真田丸」をご覧になっていますか?
ドラマ第13回で第1次上田合戦のシーンがありました。
天正13年(1585年)約2000人の真田軍が、約7000人の徳川軍を打ち破った有名な戦いです。
その一方で、同じ年に上伊那で激しい戦いがあったのをご存知でしょうか?
鉾持桟道の戦い(伊那市高遠)と言います。
当時、高遠城の城主は保科正直で、徳川家康に従っていました。
徳川の命を受けて、真田氏と対するために小諸に出陣しますが、
そのため手薄になった高遠城を狙って
松本の小笠原貞慶が約5000人の軍勢で攻撃をしかけます。
対する留守隊の数は約100人。
兵力差は50倍。多勢に無勢、勝ち目はないかに見えます。しかし!
当時78歳の城主の父、保科正俊(1507-1593)が留守隊の指揮をとり、
家臣の赤羽又兵衛らとともに高遠の鉾持桟道で小笠原軍を撃退します。
一体どうやって?
『高遠のあゆみ』(高遠町・高遠町教育委員会発行)によれば次のとおりです。
付近の農民300人を動員し、兵とする。(それでも合計400人ですが)
小笠原軍が、桟道を半ば渡ったところで、山の上から大岩や大木を落とす。
敵が分断され、かく乱するところを見て、鉄砲隊が鉄砲を撃ち込む。
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