2016.08.31 [ 歴史・祭・暮らし ]
~鉾持桟道の戦い~
小笠原勢の多くが鉾持の崖から谷底に落ちてゆき、
貞慶は全軍に退却命令を出しました。
三国志に出てくる諸葛孔明のような作戦ですね(¥△¥;)
後日、家康は正俊に銘刀と感状を送り、その功を賞しました。
それでは現場へ行ってみましょう。
下の写真は、鉾持桟道合戦の標識です。
↓すぐ近くに巌谷小波(いわや さざなみ)の句碑があります。
(童謡『富士山』の作詞をした人です。)
「桟道や 炭負ふ馬の 数珠つなぎ」
と詠まれています。
付近の写真です。
周囲は左も右も急な崖です(ˆˆ;) 右の崖のはるか下に三峰川が見えます。
現在の歩道あたりが、当時の桟道だったのでしょうか?
この上から大岩や大木が落ちてきたと想像すると怖いですね
時折使うこの道が、合戦の舞台になっていたとはちょっと驚きでした。
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