い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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さすらいの日々に 【井月さんのこころ150】

井月さんのこころ シリーズ その150

 暖冬から一転して大型寒気団が入ってきて一面の雪景色に変わっていますが、上伊那管内では新年に入ってからも降雨・降雪が無く、乾燥した状態が続き、4日(月)仕事始めに伊那市高遠町月蔵山で、15日(金)には辰野町伊那富小横川で山林火災が発生し、いずれも消防署・消防団のほか、県の消防防災ヘリコプター「アルプス」をはじめ他県の消防防災ヘリの応援まで要請しての消火活動が行なわれました。火気の取扱いには、くれぐれも注意してください。

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 さて、井月さんの年末・年始は、俳諧師として俳友や弟子、懇意にもてなしてくれた庇護者などの家々を廻って寄食・寄宿。その様子は、井月さんの晩年の日記で明らかにされています。
 「日記と逸話から井月の実像を探る」という副題が付けられた宮原達明先生の「漂泊の俳人 井月の日記」(ほおずき書籍)を手懸かりにみていくと、遡回その142で紹介した明治17年秋、四徳酒祭りで旧暦十一月三日(新暦12月19日)までの5日間四徳に滞在した年の暮れは、………
 新暦12月30日(旧暦十一月十四日)は、中殿島の飯島幾太郎(柳哉)の留守宅へ泊り「手酒粉もち馳走。」  注:手酒(てざけ=自家製の酒)
 飯島幾太郎(柳哉)は、「漂泊の俳人 井月の日記」に「上伊那農学校の創立に力を尽くした男」として紹介されている篤農家で、牡丹で有名な飯島吉之丞(吉扇)の長男であることは、遡回その142でも紹介しました。
 2015年11月28日 四徳の山奥に 【井月さんのこころ142】

 大晦日(旧暦十一月十五日)は、上殿島の自得亭で「昼馳走 金十銭御恵ミ。」夕方、西春近の春秋亭で「足駄一、緒共歳暮に預り」、中村氏宅へ「一瓢持参越年酩丁、泊る。」
 明治18年元旦は、「快晴。今朝三杯、雑煮佳。巳刻頃赤木飯島喜代治留守へ出、年始馳走。宮田代田大工え寄年始。恵方赤ほへ出向、夕方松屋へ出、泊る。常のごとし。」

 それから一月半、あちらこちらで年始・年酒の御馳走に預り、………
 旧暦十二月三十日(新暦2月14日)は、飯島で「松村先生(新花亭)へ六半時分着。馳走酒佳風呂入酩丁。」
 翌 旧元日の記述は、「(三字傍書)卅日朝荷燕喜」
(新暦2月15日)「握り飯にて出立。横前岩次郎、一柳子尋、又那与兵衛子に一見。本郷林傳平亭年始、馳走膾可。」  注:膾(なます)

 それから更に2週間、あちらこちらで年始・年酒の御馳走に預り、小正月を迎えます。
 旧一月十四日は、「晴。今朝馳走。午前赤木卓囿亭年始越年。昼馳走泊。発句一巻引墨三評十五日開■。」
 旧一月十五日は、「下牧叶水亭年始馳走。酒肴佳茶漬。」

 その後も2月から3月頃まで毎日のように「年始」、「年酒」、「年詞」と。まあこんな具合で、井月さんはあちらこちらで何回も越年をして、寄食・寄宿を繰り返していたようであります。

 井月さんの交友関係について日記を基に丹念に分析された宮原先生によれば、ここに登場した赤穂の松屋、飯島の新花亭、赤木の卓囿亭などが井月さんの常宿となっており、庇護者でもあったとのことです。

 ところで、この頃の小正月は旧暦で祝われていたようであり、赤木の卓囿亭に「年始越年。」と記述されています。また、卓囿亭で「引墨(ひきずみ)」という記述があり、ほかにも「発句一巻引墨、謝八銭受納。」とか「一巻引墨、四銭八リン」などという記述が度々登場します。これは俳句の批評・添削のことだそうで、井月さんは師匠として「引墨」により収入を得ていたようです。

 宮原先生の「漂泊の俳人 井月の日記」(ほおずき書籍)の分析(四月までつづいた「年始」回り)によれば、日記に登場する最も遅い「年始」は明治十八年四月六日とのこと。探してみると「葛島黒川先生へ年始」との記述があります。葛島(かづらしま)は現・中川村で、黒川先生は寺子屋師匠とのこと。明治十八年四月六日は、新暦でいうと5月20日ということになります。宮原先生曰く「井月にとって、年が改まって最初の訪問はすべて「年始」なのだ。」と。

 明治18年当時は、井月さん64歳、亡くなる2年前です。風呂や酒・肴にありつけないこともあった井月さん。酒や肴がない時は、日記に「風情なし。」と記しています。

 寒さの中を漂泊しながら井月さんが詠んでいます。

  酒さめて千鳥のまこときく夜かな   井月

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