2015.10.10 [ 歴史・祭・暮らし ]
寒露の頃 【井月さんのこころ135】
雨沢「友愛団」、旭「愛睦社」、上町「信友社」の3台の屋台も境内へ集結して、青年会の皆さんによる長持ちや踊りの奉納も行われました。雲助長持ちで有名な友愛団の団長さんにお願いして「ハイ、ポーズ!」。決まりました。
この日は、天候にも恵まれ、初期中仙道の道筋をJR岡谷駅とJR塩尻駅から夫々スタートして、2つのコースでJR小野駅を目指して訪ね歩く「初期中山道ウォーキング」が開催されており、「憑の里」は大勢の人出で賑わいました。
初期中仙道は、下諏訪から東掘、小井川、岡谷を通り、三沢から小野宿を経由して牛首峠を超えて桜沢に至る26㎞の道です。
初期中仙道については、遡回その61とその108に詳しく記しました。
2014年5月17日 ほととぎす鳴く頃【井月さんのこころ61】
8日(木)は、二十四節気の「寒露」です。
井月さんが詠んでいます。
露寒し衣の勧化まだ出来ぬ 井月
以下、この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、
秋が更けて夜露が寒い。夏の一重ものでは冬は越せない。人が見かねて袷や羽織の寄付を約束したが、まだ届かない。勧化は、社寺仏像の建造に寄付を集めることだが、単に寄付の意に用いる。全集に、夏服のまま、厳寒に迫り、ついに落命かというところを竹村氏に救われたとか、下島氏の祖母が綿入れ羽織を着せてやったのに、井月は、それを乞食に呉れてしまったなど話題は多い。
(露・秋)
井月さんの詠んだ露の句は、遡回その25やその77にも登場しました。
2013年9月7日 露の道除け合うように【井月さんのこころ25】
信濃國二之宮矢彦神社例大祭の4日朝は、気温が5度まで冷え込んで露霜が下り、日中は秋晴れの穏やかな祭日和になりました。
この例大祭は「田の実の祭」とも呼ばれ、かつては「八朔の祭」でした。
大海人王子(おおあまのおうじ)が「壬申の乱」に勝利して天武帝として即位し、白鳳2年(674年)に初めて勅使が下向して式年御柱大祭が始まったと伝わります。
2013年7月6日 鯇(あめのうを)捕まえる頃【井月さんのこころ16】
おほなむち玉の露置く神の庭 青巒
「浦安の舞」の歌詞は昭和天皇の御製とのことです。
天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を 昭和天皇
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