い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

い~な 上伊那

2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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餅搗く頃【井月さんのこころ41】

 次に、この11月から景観行政団体へ移行した地元伊那市における取組事例について、信州伊那アルプス街道推進協議会代表・西箕輪ふるさと景観住民協定者会会長の山口通之氏から事例発表いただきました。
 平成19年に長野県初で現在も唯一の「景観育成特定地区」に指定された西箕輪地区の景観育成活動のリーダーであり、伊那市景観審議会の副会長として来年4月発効予定の景観計画策定に住民代表として携わっておられる山口氏は「景観育成は地域づくりの一環として、未来に展望を持って、楽しく愉快に、ドラマを持って取り組むことが大事である。」と述べられました。



 休憩後、NHK全国学校音楽コンクール長野県大会で2年連続長野県代表に選ばれた伊那北高等学校音楽部合唱班による『古(いにしえ)の君へ』のすばらしい合唱発表がありました。




 続いて、進士先生をコーディネーターに、塚越寛氏、原田泰治氏、山口通之氏、結城昌子氏による『信州ふるさと風景の魅力づくり~私たちができること~』のパネルディスカッションが行なわれました。


 赤松林を活かしたすばらしい環境プラスアルファの『萬両の価値ある』かんてんぱぱガーデン(遡回その13参照)を有する伊那食品工業株式会社取締役会長であり、NPO法人「日本で最も美しい村連合」副会長でもある塚越寛氏は、自ら伊那谷の風景を撮影したカレンダーを毎年製作されており22作目になることや、地域を美しくする趣旨の元旦広告を予定していることなどの取組を紹介しながら、「景観保全には醜い雑草などを取り除き、綺麗にすることが大切であり、みんなでやれば楽しい。」と述べられました。

 諏訪市在住の画家原田泰治氏は、農村風景を描く「鳥の目」と「虫の目」を5歳から中学1年生まで育った「赤石山脈の裾を流れる天竜川を見下ろす伊賀良村(現:飯田市伊賀良)で得た」と自らの生い立ちに触れながら、「全国の農村風景を描いてきたが、47都道府県の中では、ふるさとのぬくもりを感じる信州が一番」と述べられ、現在合併前の121市町村をライフワークとして徹底して描いていこうとされておられることを紹介されました。




 東京生まれ東京育ちながら原田泰治氏とともに長野県で綿半グループが主催する”わたしの「ふる里自慢」絵画コンクール”の審査員を6年間ずっと務めておられるアートディレクターでエッセイストの結城昌子氏は、「絵画には『観る力』『支える手』『描きたい心』の三つが必要であるが、長野県の子どもたちの絵には、ふるさとを自慢する気持ちが先にあって、目や手の力も備わっており、身近な着眼がすばらしい。」とお褒めいただきました。

 進士先生の言葉によれば「21世紀は都市を農村化し豊かさを取り戻す世紀」「景観十年、風景百年、風土千年」とのこと。

 長野県農村景観育成方針の全文はこちらでご覧ください。
 また、長野県では「心に残る『ふるさと信州』の情景」をテーマとした農村風景写真を募集し、「ふるさと信州風景百選」の刊行を予定しております。
 今回の「ふるさと風景育成の集い」では、9月末締切の前期分に応募された写真のうち地区審査で選考された145点の写真が展示室に掲示され、休憩時間等には多勢の皆さんにご覧になっていただきました。
 このうち上伊那管内における前期分の応募は60点あり、地区審査(審査員76名)による審査を経て17点が選ばれて展示されていました。
 現在、後期分(来年4月30日締切)の写真を募集中です。
 応募シートや要領などはこちらをご覧ください。
 詳細は、地方事務所建築課へお問い合わせください。

 もう一つは、上伊那消防広域化協議会主催による防災講演会で、午後2時から小ホールで行なわれました。
 駒ヶ根市の御出身で陸上自衛隊富士学校長・富士駐屯地司令の武内誠一陸将による「東日本大震災における自衛隊と県、市町村、消防、警察との連携について」と題して、被災地支援・災害復旧の最前線で指揮を執られた経験に基づく講演がありました。
 管内の消防関係者を中心に小ホール超満員の約400名が聴講しました。



 さて、前回(その40)「夜明け前」の続きです。
 青山半蔵(島崎正樹)と同じ時代を生きていた井月さんには、明治維新がどのように写っていたのでしょうか。
 人の営みの中で、夫婦で餅をつく姿は、寿ぐべき睦まじい景色。
 武士を捨て、漂泊して「ほかいびと」としてそうした景色を淡々と俳句に詠んで、家内安全や豊作祈願を言の葉に紡いで歩いた井月さんです。
 しかし、晩年に井月さんを襲った現実も明治維新の時代の背景にあった「夜明け前」の悲劇だったのではなかろうかと思われます。
 青山半蔵が育んできた国学思想は維新には全く役立ちませんでした。
 井上井月が焦がれた芭蕉翁の風狂は維新の波に埋もれてしまいました。
 心中に抱え込んだ悲しみや苦しみは、青山半蔵にも井月さんにも共通するものであったのではないかと思えるのです。前者は発狂して獄死し、後者は失意の中で行き倒れます。
 しかし、そうした生き方の根底にあるものは、下島空谷さんが「井月全集」の巻頭に記した一節にある「東洋思想のどん底に閃めく青白い永遠の光を感じないではゐられません。」という言葉そのとおりなのだと思います。
 西洋文明が急速に入ってきて「文明開化」「脱亜入欧」した明治という時代にあって、「復古」の大和魂の輝きを磨こうと必死にもがいた「夜明け前」の群像の存在を我々は忘れてはならないのではないでしょうか。

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