2015.03.07 [ 歴史・祭・暮らし ]
早春の井月忌に 【井月さんのこころ104】
浮浪生活を続けた井月さんは、その前々年頃に梅関さんの弟として入籍し、「落栗の座を定めるや窪溜り」の句を詠んでいます。
臨終に立ち会った俳友の六波羅霞松さんから辞世を求められて書いたのは、「何処やらに鶴(たづ)の声きく霞かな」の句であったそうでありますが、井月さんは、次のようにも詠んでいます。
涅槃より一日後るる別れかな 井月
この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、
井月は明治二十年三月十日に没した。陰暦にすると、二月十六日、正に「涅槃より一日後るる別れ」であった。
西行法師は、建久元年(一一九〇)二月十六日に没した。彼の「ねがはくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」にあやかって死ぬとは井月も大したものだ。辞世と見られる。
(涅槃会・春)
2013.03.27 涅槃会・その如月(きさらぎ)の望月の頃【井月さんのこころ4】
井月さんは、蕗の薹のようにつつましく生き、帰り遅れた燕のように放浪し、落ち栗のように朽ち果てていきましたが、井月さんを世に出した下島空谷さんの残した「略伝」によれば、次のように追憶されています……(要点のみ抜粋)。
(前略)
井月の無頓着さは、咏草だの抄録だのを持つような、気の利いた人間ではなかったらしい。要するに至る処で咏み放し書き放しであった……(中略)……逸話奇行でも知られる如く、人間普通の生活から離れることの遠い、実に破格な純真無垢の生活相であって……(中略)……その風格はやはり良寛和尚に一番似ているように思われる。併しながら、全部を大自然の中へ投げ出した、所謂自然児らしい漂泊俳人井月を思うとき、今更ながら芭蕉の偉大さを沁々感じずにいられないと同時に、その理想を飽くまで実践しようとしたらしい井月の殊勝さを追憶せずにはいられない。そこで、彼が終期の自然さ沈痛さを略述して、伝記の終りを結ぶことにする。蓋(けだ)し、芭蕉栖去の弁に、「拄杖一鉢に命を結ぶ。なし得たり風情遂に菰をかぶらんとは……」の実現以上ではあるまいか。 (後略)
芭蕉翁も憧れた生き方、拄杖一鉢(しゅじょういっぱつ)に命を結び、菰を被る(乞食になる)ことを殊勝にも実践しようとした井月さんなのでした。
芭蕉翁の「栖去の弁(せいきょのべん)」については、こちらの記事を。
2014.11.15 晩秋の風と残菊に【井月さんのこころ86】
猫の恋こころせい月酒中叟 青巒
「猫の恋」については、来週以降のこころにしたいと思います。
今週の結びは、愚良子先生が詠んでいるこの句です。
「春日愚良子句集」から
ハンバーガー食べ乍ら来し井月忌 愚良子
今週末のイベント等の御紹介はこちらです。
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