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歴史的農業施設シリーズ7~立科町の赤沼ため池の民話~

農地整備課の「SKT46」です。
1か月程まえは、夏のような気温だったのに、もう冬ですねicon04。7日は立冬、22日は小雪ですから、暦どおり寒くなりました。

さて今回は、ため池の話題です。
みなさんは、立科町にある「赤沼ため池」をご存知ですか? それならば、「女神湖」はご存知ですよね。
もうひとつ、諏訪の「白樺湖」は有名ですね。では「池の平ため池」は?
実はどちらも同じため池の名前なのですね。

女神湖

では、「女神湖」について紹介しましょう。
現在の女神湖は、昭和41年に県営事業の御牧ヶ原農業水利事業によって造成されたため池です。この用水は、蓼科山の中腹から湧き出る湧水を貯留して、下流の立科町や小諸市の御牧原台地そして東御市の八重原台地の水田の用水源となっています。
今年の田植え時期には、用水不足となって農家の皆さんは大変困りましたface10。女神湖の用水も緊急放流して使用しましたが、もう少し干天が続くと女神湖の用水も空っぽになってしまうところでしたicon10
 



竣工記念碑

なぜ、女神湖と名付けたのでしょうかface06。それは、荒々しい浅間山を男の神山、そして柔らかい蓼科山を女の神山と呼んでいたところからだと言われています。

 女神像と蓼科山

話はもとに戻りますが、女神湖の場所は、元は赤沼平という沼地でした。
そして、こんな民話があります。

赤沼池の河太郎(女神湖センターのサイトから抜粋して引用)

 蓼科山の西北のふもと、芦田から諏訪方面にぬける道の傍らに、赤沼池がありました。今は、女神湖となっている池です。ここに「河太郎」という悪戯好きな河童が住み着いていました。
 この河太郎は、指と指をからめる指相撲、カギ引きが得意で沼のほとりのカギ引き石に座り、童子に化けて通る人たちをカギ引きに誘い赤沼に引き込んでいました。
 ある日、諏訪の武士頼遠が通りかかるとカギ引きに誘われました。噂を知っていた頼遠は、河太郎と指をからめ、すぐに馬を走らせ1里ほど走りました。河太郎の頭の皿はすっかり乾き「許してくれたら今夜この沼を出ていく」という約束をして許してもらいました。あくる朝、頼遠が赤沼に行ってみると、不思議なことに赤沼の水がすっかりなくなっていました。
 同じころ、隣の和田村(今の長和町)に突然現れた池がありました。村人は大騒ぎ、この池を「夜の間の池」と呼び、河太郎はそれからはこの池で静かに暮らしたと・・・・。

今も、「カギ引き石」は女神湖畔近く(主要地方道諏訪白樺湖小諸線沿い)にあります。
カギ引き石の下の窪みは、江戸初期に六川長三郎が開削した塩沢堰の水路跡で、この上流で用水を女神湖に入れています。

カギ引き石

参考 「旬」の宅急便~佐久っと通信~  に「石にまつわる民話・昔話」が紹介されています。 

歴史的農業施設には、1600年代の小諸藩において、五郎兵衛新田を開発した市川五郎兵衛、塩沢新田の六川長三郎、御影新田の柏木小右衛門、八重原新田の黒沢嘉兵衛の偉大な先人達の苦労話が伝わっていますが、民話・昔話も多くあります。当時の生活と密着していという証でしょうかface02

佐久平が一望できる蓼科第二牧場に立ち寄ってみましたicon16。駐車場の横に水平型日時計がありました。(東経138度17分0秒、北緯36度9分3秒、海抜1535m)

 水平型日時計

カギ引き石の場所
    

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