ほっと9(ナイン)ながの 長野で働くスタッフが、長野地域の9つ(ナイン)の市町村の「ホット」な魅力をご紹介!(長野市、須坂市、千曲市、坂城町、小布施町、高山村、信濃町、飯綱町、小川村) 私たちの日々の仕事の話、「ほっと」一息つける癒しの裏話、きっと役に立つ暮らしの豆知識、おすすめ絶品グルメ…などなど、ここでしか出会えない”ながの”のすがたをお見逃しなく!(旧「ほっとスタッフブログながの」)(写真:信濃町 黒姫山の冬)

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【「ありのままのお母さんでいい」 合同会社マムズ・サンを運営する池尻 由美さん】

長野市の池尻由美さんは、長野駅前など市内3カ所の保育施設を中心に、未就園児等の保育や産後の出張ケアなど、お母さんたちの要望に応じたサービスを展開する合同会社Mom’s-sun(マムズ・サン)を運営しています。

      職員が付き添い、子供たちと一緒に付近を散策

朝、施設の一つの「ひかりほいくえん」(同市三本柳)に、通勤前のお母さんたちが次々と訪れて、我が子を職員に託します。毎日預けられる子供は、何の抵抗もなく家の中に上がりますが、「一時預かり」の子供は、すんなりとはいかないことがあります。

30代の母親(長野市川中島在住)はかつて、幼稚園に上がる前の男児を月に1、2回程度、預けていました。最初の頃は母親と別れる段になると「ワーン」と大泣きし、職員の顔を覚えてくると、玄関の戸を開けて職員の顔を見た途端、やはり大粒の涙をこぼしていました。

しかし、迎えに行く時には、子供は「ニコニコ」しながら玄関まで出てきて、「散歩に行ったよ。おやつはメロンだったよ。」などと、園での出来事を楽しそうに話すことが常だったといいます。
一般的な保育園では、決められた枚数のおむつ、エプロン、タオルなど持ち物リストがずらりと並びますが、こちらの園で「一時保育」に預ける際には、連絡ノートと着替え一式を用意すれば十分。着ていた服が汚れた際には、園で洗濯をした上で返却してくれたとのことで、この母親は大変、感激しました。一時保育を始める前、最初に池尻さんに会った時、「お母さんがお茶を楽しむ時間をつくってもいいんだよ。」と優しく声をかけられ、肩にのしかかっていた重荷が取れて、「フワッ」と軽くなったとのこと。常に子供と一緒に過ごして気詰まりになる時期に、月に数時間でも気分転換させてもらったことを心から感謝しているといいます。

マムズ・サンは平成27年12月に開園したひかりほいくえんでの保育が好評を博し、平成29年8月には「きらりほいくえん」(同市青木島)を設立し、翌年4月には民間企業が設立した「イキイキほいくえん」(同市南千歳)の運営も任されるようになり、着々と事業の幅を広げています。
きらりほいくえんで1年以上勤務する清水舞子さんは、「上からの命令で『やらされている』感覚はなく、職員それぞれが意見を出して前向きに仕事を進められることが魅力。」と語ります。
待機児童の解消に力を入れる時代の風に乗り、保育の実業家として活躍している池尻さんですが、道のりは平坦ではありませんでした。

中学生の頃、お母さんから、「女性一人で生きていける職として看護師がいいんじゃない。」と、常々言われていたことから、自然の成り行きで、看護を学べる木曽高校(現・木曽青峰高校)に進学しました。
しかし、実際に学んでみて、看護師に課せられる責任感や重労働の仕事内容に驚き、また、将来の選択として他に興味を抱く分野ができたこともあり、勉強に身が入らなくなりました。在学中に受けた准看護師の試験勉強にも落ちるなど、すっかり情熱が冷めてしまい、卒業後は医療とは関係のない長野市内の民間企業に就職しました。

卒業から一年後、転機はやってきました。
看護学科で寝食を共にした仲間と再会し、仕事の苦労話を「イキイキ」と話す旧友たちの姿に触発され、もう一度、看護師を目指すことを決意しました。
旧友たちとの再会後、数カ月で仕事を辞め、病院で働きながら看護を学べる市内の学校に入学しました。配属された産婦人科で、新しい命が生まれる瞬間に何度も立ち会った経験から、卒業後、神奈川県で助産師を育成する学校にも1年間通って、助産師の資格も取りました。
卒業後も、県外の産婦人科で働き続けていましたが、縁あって結婚した夫との間に男児が生まれたことから、慣れ親しんだ地元への転居を考え、夫の理解も得て一緒に長野市に戻りました。それから十数年、家族は更に増え、高校2年生を筆頭に、中学3年生、小学5年生のいずれも男児と一緒に暮らしています。

第一子が生まれてから4カ月間、池尻さんは「産後うつ」になっていたと、当時を振り返ります。
夫が仕事から帰るまでの十数時間を、ずっと家にこもって子供と向き合うだけでも大変なのに、加えて母乳だけの授乳が上手くいきませんでした。助産師という立場もあって誰にも相談できずに悶々(もんもん)として、毎日、視界全体に靄(もや)がかかっていたといいます。
自身の苦しい経験が、後に会社を立ち上げる動機の一つになります。

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