2024.02.24 [ 松本市松本農業農村支援センター ]
とっ殿っ!!烏城(からすじょう)ではござらん!深志城(ふかしじょう)にござる!!
今回の「中の人」担当 松本農業農村支援センター「ちゅっくらいってどんくらい?」です。
こんにちは。
【お城のおはなし】
城の歴史は古く、発祥は弥生時代まで遡るそうだ。
敵の襲来に備え高見櫓を設置し、集落を柵と堀で囲うといった軍事的な性格を持つ城が存在していたそうである。(佐賀県の吉野ヶ里遺跡などの環濠集落)
そんな城に本格的な天守(天守閣は俗称)が作られたのは織田信長が築城した安土城が最初と言われ、豊臣秀吉が築いた大阪城など、築城のスタンダードになったそうだ。
この天守、戦時における防御施設の役割があり、軍事的な工夫が随所に込められた実用的性格の高いもので、二つとして同じ天守は存在しないそうだ。
そして城主は有事の際(籠城戦時など)一時的に籠ることはあっても、平時には住んでいなかったそうである。
江戸期までに築城された天守のうち、徳川幕府が1615年に出した「一国一城令」や明治に入って、1873年の「廃城令」や戦争をくぐり抜けて、現在まで天守が残っているのは、全国で12城しかありまてん。(姫路城や松本城など、「現存天守12城」と言うらしい)
「白鷺(しらさぎ)城」の別名を持つ姫路城は国内最大の天守を有し、神社や厠(かわや…トイレ)が天守内にあることでも知られている。
漆喰6層で厚みが30センチ強あるそうで、外壁が真っ白なのが有名だ。
白い姫路城に対して、外壁に黒漆が塗られ全体的に黒く見えるのが松本城だ。
壁面が黒い城は国内にいくつか現存するが(熊本城など)、現在壁面に黒漆を塗る漆黒の天守を持つ城は松本城が日本唯一である。
(かつて天守の外壁は大名の派閥を表し、白い外壁は徳川系の大名、黒い外壁は豊臣系の大名が築いたとの説があったらしいが、現在は否定されているそうだ。)
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