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<VOL.248>“しあわせ”発見~信州巡り~

一つ目は東御市にある「海野宿」。
江戸から信濃を通る中山道を追分で別れ、越後へ抜ける北国街道の宿場として設置された宿場で、当初は隣に位置する「田中宿」とセットで一つの宿場となる「合宿(あいしゅく)」として設置されました。
北国街道は、現在の国道18号線とほぼ同じ道筋。北陸からの諸大名が参勤交代の際に使用したり、佐渡からの金を運んだり、善光寺の参詣に…と人々の往来でにぎやかな街道でした。


海野宿の様子
(テレビ信州:2010年11月22日)

海野宿の建物で一番の特長といえば、慣用句にもある「うだつ」。
“うだつが上がらない”…なんてよく聞きますが、この“うだつ”は“卯建”と書き、梁の上に建てる柱のことを指します。
もともとは、隣の家から火事が起きたときに、燃え広がりを防ぐ防火壁として造られていたのですが、次第に飾りとして造られるようになりました。

“うだつ”を上げるためにはそれなりの財力が必要だったため、そこから「生活や地位が上がらない・ぱっとしない」といった意味に転じたとされています。
建物にも昔ながらの工夫があって、それが後々に言葉としても残っているなんて面白いですよね!宿場町の新しい楽しみ方、発見です!

もう一つ、上小地域にある宿場町が「長久保宿」・「和田宿」。
こちらは、江戸から京都を結ぶ中山道に設置された宿場で、特に「和田宿」は街道の最大の難所であった和田峠の手前に設置されました。険しい山の中にあるというだけでなく、和田宿の先の下諏訪宿までは約5里半、今の距離に換算して約23kmほどと、間隔が長かったというのも難所と言われる要因だったようです。

和田宿は地域の方々が積極的に保存・修復を行っているため、現在でも本陣や脇本陣、旅籠といった当時を知ることのできる歴史遺産が残されています。
毎年、お盆の時期には和田宿宿場まつりが行われ、江戸時代の大名行列をそのまま見ているかのような時代行列と花嫁道中を見ることができます。


皇女・和宮も通った和田宿。随所に歴史を感じる建物が残されています。
写真左上:和田宿本陣 写真右上:長久保宿本陣
写真左下:中山道和田宿かわちや前 写真右下:長久保宿一福処濱屋
(写真提供:長和町観光協会)

同じ宿場町でも楽しみ方は様々。当時の歴史背景を下調べして行くと楽しみも二倍!二つの道、宿場で歴史浪漫に浸ってみてはいかがでしょう?

<生産量日本一!美容健康を気遣う女性に嬉しいくるみ>

上小地域では、高原野菜から果物に至るまで特色ある農作物が生産されていますが、中でも日本一の生産量を誇るのが東御市で栽培されている「くるみ」です。
明治初期頃にその栽培方法が伝えられ、その後大正時代から本格的にくるみ栽培が広まっていったと言われています。
現在栽培されているくるみは「シナノグルミ」という品種で、江戸時代初期に日本に持ち込まれた「カシグルミ」という品種と欧米で栽培されている「セイヨウクルミ」という品種を掛け合わせて作られたもの。


「シナノグルミ」の一番の魅力は、一粒一粒の実が大きく、ふっくらと厚みがあること!一度口に頬張れば、木の実特有の香ばしい香りが広がります。
そのまま生で食べてももちろん美味しいですが、お菓子に料理にと使い方は様々。
また最近では、くるみの持つ栄養価が改めて注目されています。
ビタミンやミネラルのほか食物繊維などが豊富に含まれ、栄養素をバランス良く採れる食材なのですが、注目されているのは「オメガ3脂肪酸」という成分。

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