楽園信州

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<VOL.250>四季彩だより~信濃の国から~

奥信濃に春を呼ぶ ~中野土びな~(中野市)

弥生3月。高校受験、大学受験、卒園・卒業式、退職、転勤等など・・・
3月は、大人にとっても子どもにとっても大きなそして大事な節目の月。
そして、このメルマガにとっても配信最後の月となりました。
微かに春の足音が聞こえてきた信州。日に日に春に包まれていきます。
さて、今回は、奥信濃に脈々と受け継がれている伝統玩具の紹介です。


長野県の北東部に位置する中野市には、縁起物や節句飾りとして、江戸時代末期から作られてきた伝統の玩具である土人形が、今も手づくりで守り続けられています。

中野の土人形には、京都伏見系の流れを汲む奈良家の「中野人形」と愛知三河系の流れを汲む西原家の「立ヶ花人形」があり、この両者を合わせて「郷土玩具中野土人形」と呼ばれています。


(「まちかど土びな展」の様子)

「中野人形(奈良家)」
江戸時代後期の文化・文政年間(1804-1828年)に奈良家初代の奈良栄吉が京都での商いの途中、伏見街道に並んだ土人形に魅せられ、職人を中野に呼び寄せ、作り方を習い制作したのが始まりと言われています。

昭和に入り制作中断の時期もありましたが、昭和32(1957)年に4代目奈良政治が制作を再開、現在は5代目の奈良久雄氏と6代目の奈良由起夫氏が制作を続けています。

人形の型は、伏見人形から型取りされたものが多く、現在では、教訓説話物や風俗物などを中心に約百数十種類が制作されており、人形の背中まで彩色されているのが特徴となっています。       


(「まちかど土びな展」の様子)

「立ヶ花人形(西原家)」
明治35(1902)年頃に愛知県三河の鬼瓦職人の斎藤梅三郎が中野の安養寺で瓦製造を行っていた西原家初代の西原己之作に冬期間の副業として作らせたのが始まりと言われています。

昭和7(1932)年に2代目西原義量の出兵より制作が中止されましたが、昭和46(1971)年に3代目奈良袈裟慶が40年ぶりに復活させ、現在は4代目故西原邦夫氏の妻子が制作を続けています。

人形の素材は歌舞伎物が多く、比較 的大型のもので、現在50種類余りが制作されています。

このような二系統の土人形が、昔ながらの伝統技法で現在も同一地域で制作されているの例は、全国的に見ても類がないそうです。

毎年3月31日には「中野ひな市」が開催され、店舗では販売されていない中野土人形が抽選販売されるとあって、全国から毎年多くの土人形ファンが集まります。
夕方には土人形を模した“大灯籠びな”が市街地を練り歩き、春まだ浅い北信州に活気がみなぎります。

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