2022.07.07 [ その他 ]
プロに聞く! ~木曽漆器の魅力について~
皆さんこんにちは 商工観光課のNです!
先日紹介しました木曽漆器祭・奈良井宿場祭の記事は、多くの方に見ていただいたようでとても嬉しいです。
私も奈良井から木曽平沢までお散歩しながらお祭り気分を楽しんだり、お話を伺った石本さんのところに顔を出したり、漆器を実際に買ってみたりと満喫してきました!
(お祭り当日は天気もよくまさに探索日和でした!)
今年は行けなかったよ~って方は、来年も開催されますので是非来年行ってみてくださいね!
さて、先日お祭りについてインタビューさせていただいた石本則男さん、実はお祭りの実行委員長のほかにも、木曽漆器工業協同組合の理事長や塩尻商工会議所漆器部の部会長を務められるなど、自らも漆器の製作に携わりつつ、漆器について本当にいろいろな面でご活躍されている方なんです。
今回、木曽漆器祭・奈良井宿場祭のことだけじゃなくて、木曽漆器のことについてもお話を伺いました。
伝統的な工芸品の1つである木曽漆器、まずはその特徴を教えてください。
奈良井も少し含まれますが、主要な産地はここ木曽平沢になります。漆を塗り重ねる「堆朱塗(ついしゅぬり)」、「塗り分け呂色(ぬりわけろいろ)」「春慶塗り(しゅんけいぬり)」が、昭和50年に国の伝統的工芸品(経済産業大臣指定)の第1次指定を受けて、輪島・会津と並んで漆器の3大産地の一つになっています。
高度成長期やバブルの時代には座卓などの大型家具を中心に、家具屋、あるいは業務用として料理屋・旅館等に出荷したりしていました。近年では長野冬季オリンピックのメダルに塗りを施したりしたほか、名古屋城の本丸御殿の修復をしたり、かなり大規模なものも塗ったりしています。
木曽平沢の街並み自体も「漆工町」として、平成18年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されております。他に全国にもいくつも漆器の産地はあるんですが、こういうふうに漆器工房が固まっているところってないんです。ここは元々木曽郡楢川村平沢という一つの集落で、土地もそこまで広くない、人口もそこまで多くないところで、みんな集まって仕事やっていました。他のところは会津にしても輪島にしても市ですから、漆器屋さんの数は同じぐらいでも点在していて、これだけ工房が集まっているところは全国でここくらいかと思います。
今日は近くに車を停めて歩いてこの工房まで来たんですが、街並みが工房で連なっていて、本当に職人さんの街なんだということを感じました。木曽漆器の成り立ちはどうようなものだったのでしょうか。
歴史的なことで言うと元々は木曽福島(木曽郡木曽町)が発祥なんです。飛騨高山の方から春慶塗という技法なんですが、高山も木曽もヒノキの良い木地がありますので、その木地を生かし、弁柄(ベンガラ)っていうので色付けをして、漆を何回か塗って、やり方としては素朴な塗り方の少し赤っぽい感じの木目を生かした技法が渡ってきました。それがしだいに木曽平沢の方へ移ってきて定着しました。ここで定着してからおよそ400年くらい経っておりますから、西暦1600年代くらいには木曽平沢で漆器を作っております。
このあたりには中山道の奈良井宿があって、当時「奈良井千軒」っていうくらい宿場町で栄えたので、ここで櫛だとかお土産品を売っておりました。また、名古屋方面等の外に向かっても売るようになっておりました。その後明治になって、奈良井のマキヤ沢っていうところで錆土(さびつち)っていう土が取れるようになりました。鉄分が含まれた下地用の土なんですけれど、その土と漆を混ぜて、木を保護するための下地を塗って、丈夫でしっかりした漆器ができるようになったんです。これによって漆を厚くたくさん塗れるようになった。錆土が見つかる前までの春慶塗はあまり厚くは塗らない塗り方だったんですが、漆を厚く塗れるようになったことによって、いろんな技法が生み出されました。そのなかで(漆器で有名な)輪島に行って勉強したり、いろんなところ修行に行ったりして、錆土を生かした本格的な漆器を木曽平沢でもやりだしたということですね。
錆土の発見や他の地域への修行によって、木曽平沢の漆器技術がさらに磨かれていったんですね。明治以降はどうなったのでしょうか。
江戸自体の中山道を歩く旅人を相手にしていた頃は弁当箱のような小物関係を主にやってたんですよね。それが明治になって錆土が見つかった頃から、お膳や重箱等の丈夫な漆器が作られるようになりました。高度成長期からバブルの頃までの製品はどっちかというと業務用が多くて、旅館・ホテルが相手でした。
昭和30年ころからは各家庭で使うような座卓が一大ブームになりまして、座卓や衝立、屏風だとか飾り棚のような、どちらかと言うと大型家具を得意にしていましたね。また、修復を含めた建物だとか文化財関係の漆の建材とかそういうものの方にも関わっています。
今はそういうものが少なくなって、こちらも勉強するなかで何でも塗れるようになっています。小さいものから大きいものまで、どんなものでも塗れるし、そういうものをやれるだけの技術もある。これが平沢の一つの特徴です。
石本さんから見たときに、漆器の魅力、あるいは難しいところってどういうところでしょうか。
難しいところっていうのは、やっぱり漆は天然素材ということで、1つには「乾燥」というものがあります。普通の塗料と違ってただ置いておけば固まるというものではないんです。一般の化学塗料っていうのはシンナー等の溶剤が入れてあって、これが蒸発して固まるんですが、漆は自分で酵素を持っていて、その酵素が働いて自分自身で固まる力を持っています。ただ、漆の場合は水分、要するに湿度が70%以上、それから温度が20度以上ないと固まらない。だから、そこにただ塗っておいても固まらない。湿度と温度で自分で固まろうとするのがあるんでね、その部分でまず一つには乾燥の度合いというのがあり、例えば赤い色を塗るときに、赤い漆は漆と赤い顔料を練って作るんですが、これを塗って乾かすときに早く乾かすと黒っぽくなっちゃう。ゆっくり乾かすと明るい赤になる。同じ顔料を使って塗っても、乾かし方で色が違ってきちゃう。
(せっかくの漆器祭ということで購入した石本則男さん作成の漆器。則男さんが手掛ける「松明塗」は力強く、ごいごいっと粘っこい漆を塗って、ハケ目を残した大胆な塗り方が特徴。ハケを動かした方向によって残るしま目は同じものはひとつとして無く、模様のように残って光に当たったときにも動きが出る。 気楽に使ってもらえるように、丈夫につくっていますとのこと。)
本当の天然素材だから、同じ塗り方をしてもその日の天気や時間帯によっては同じ色が出ないときもあるんですね。
そうなんです。そういう難しさもありますね。あと、漆そのものが天然素材ですので、例えば(漆の木を植えてから)15年くらい経ちますと、木から漆が取れるんですけど、だいたい木1本から1年で200グラムくらいしか取れません。その漆を取った場所によって漆の質も変わってくるので、漆の見極めとか、どこで使うかということもあります。塗り方も技法もいっぱいある中で、これにはこういう漆をつかうとか、そういう部分があるほどです。
基本的には漆の仕事っていうのは非常に難しいです。技術的に難しいということもあって、効率を上げるためにも、昔からどちらかというと分業制で仕事をしていました。木地屋さんがいて、下地をやる人がいる。塗る人たちも、上塗りをする人もいれば、仕上げをする人がいる。そのなかで中塗りをする人なんかも昔はいましたね。今は下地とか中塗りをやる人たちが少なくなったこともあって、自分でやったりする人が多くなりました。
昔はそういう細かいところまで分業していて、それぞれにその専門的な職人がいて、皆の力で1つの漆器が仕上がってくるという、それであと沈金とか蒔絵とか、そういう加飾・飾りをするのもまた別ですから。一つの製品が出来上がるまで、いろんな人の力を借りて、みんなでもって出来上がったものが商品になっておりました。
今はそういう下地や中塗りをやる人が減ったということもあって、自分でやる人が増えてきています。下地は別としても、塗りの方は全部自分でやるとか、そういう方向になってきていて、そういう人たちもいくらか増えております。ただ、基本的には分業制で作られてきたものです。
漆器というと1個1個違うのが1つの魅力なのかなと思うところもあるのですが、その点はいかがでしょう。
昔は100個とかそういう単位で、同じ時間で同じように塗れる、機械みたいにできるのが名人だった。ただ昔はお椀なら5個1組だとか10個1組だとか、そういう単位で皆さん買われたんですけど、ここ近年はちょっと時代が変わってきて、自分の分と奥さんの分とか、あるいは自分の分だけだとか、そういう1個売りが増えてきました。私が塗っているものなんかはどっちかというと1個1個感じが違うのものなんですけれど、そういうものも売れる時代になった。
最近でいうと、ガラスに漆を塗ったワイングラスの製品もあるみたいで驚きました。一人ひとりが自分の気に入った漆器で日々の食卓を少し特別に彩ることができる、そんな良さもあるのかな、なんて思っています。
漆は縄文時代には矢じりの接着剤として使われていたり、土器が漏れないように漆を塗っただとか、そこら辺から始まって、接着剤だったり、塗料だったり、それから防腐剤だったり、絵の具だったり、これだけの使われ方をしたものってないんです。それぞれの用途としては漆よりも優れたものもあるかもしれない、だけど1つでこれだけの役目を果たせるっていうのは漆にしかないというのがあります。
そういう中で、ガラスだけはなかなか塗ることができなかった。それはガラスそのものも日本のものではなかったですし、日本に入ってきたのも時代的に割と遅かったというのがあります。それがここ10年くらいの間に、ガラスにも何とか塗れないかと皆さん研究されて、それでガラスと漆の間に少し違った樹脂を入れたりして、塗れるようになったということですね。
今は漆器という全体的なくくりの中でガラスにも塗れるようになって、漆はなんにでも塗れるようになっています。鉄は当然、それから布関係、紙にも皮にも塗ることができます。
時代的には今はガラスの漆器が時代に合ってるというか、日本的でないものに日本的なものを塗ったということで、一番人気はあると思います。他のものは形が違ったり、塗りが違っても基本的には木ですから、ガラスと同じ雰囲気っていう感じにはならない。
あと最近ではステンレスだとか、そういうものも塗ることができます。スプーンだとかフォークだとかとかそういうものに塗る人たちも出てきました。
(漆器のワイングラス。実物はとっても綺麗なグラスなんですが全然その美しさを伝えられる写真が撮れませんでした…。気になった人はぜひ1度検索してみてください!)
本当に漆というものの懐の深さを感じます。
深いですよ。日本で漆が発見されてから9000年の歴史があって、漆器は日本の風土に合ったうまくできているものなんですよ。日本のこういった風土や生活・気候だとか環境だとか、そういう全てのものに合った形で作られています。
例えば食器棚、ここに水屋箪笥という昔からある箪笥がありますが、これらはみんなこういうふうに(引き戸に)なってます。これに対して西洋の食器棚って基本的には観音開きになっています。何で日本の棚はこうなったかっていうと、地震があったりしたときに倒れても外に飛び出さないようにしているからです。そういった日本の自然とか、そういうものに合わせて作られている。今はガラスも漆器になってきているから例外もあるけれども、例えば地震があったときに、洋食器って割れるんですね。割れると片付けるもの大変だし、それでケガするかもしれない、それに対して漆器は落としても場所によっては壊れない、ちょっと欠けたりすることはあるかもしれないけれど、それでも危険性が全然違う。
そういう点で漆器の他の器と比べての良さっていうのは、日本古来からずっと日本人と一緒に歩んできた、日本人が日本にあったものを作ってきたっていうのがあります。
ただ、そういう意味では時代が変わってくる中でライフスタイルも変わったりして、例えば食事でも和食だけじゃなく中華から洋食からいろんなものを食べるようになった。また、プラスチックだとかそういうものが出たことによって、少し漆器の需要も落ちていたんですけれど、このコロナでまた少しこれまでと違うというか、考え方が変わってきている部分もあるんじゃないかと感じています。
また、漆は塗り直しができて再生可能、(製作に)熱を使わない、漆の木も15年ぐらいで漆を採れるようになるという循環性もある、また漆そのものに抗菌作用もあると、非常に環境に優しい自然由来の素材です。環境というものに本当に気をつけながら成長していく今の若い人たちに対して、そういう部分では漆器とか伝統工芸品にまた出番がある、チャンスがあるんじゃないかと思っています。
コロナによって家で過ごす時間が増えて、自分が気に入った家具や食器を揃えたいという人も増えてきていると感じます。また、本当に環境問題・持続可能な社会というものを1人1人が考え、実行することが求められる時代も来ていると感じています。そういった点でも、今後ますます漆器が注目されそうですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
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