2013.03.29 [ 歴史・祭・暮らし ]
高遠の桂泉院を訪ねて
魅力発掘探検隊(歴史・祭り・暮らし班)のAです。
今回は伊那市高遠の桂泉院をご紹介します。
高遠城を過ぎ、細い山道を登っていくと桂泉院があります。ここからの眺めは大変すばらしいものがあります。
「山本勘介桜」という看板が立っていて、高遠城を築城する際、山本勘助がここから眺めて縄張りの構想を練ったと書かれています。
桂泉院は臨済宗のお寺で元々は法幢院と言って高遠城内にありましたが、1600年に今の場所に移り、名称は龍沢山桂泉院となりました。
境内には、織田の軍勢が武田氏征伐のため天竜川に沿って北上した際、飯田市川路の開善寺から奪い、陣鐘として打ち鳴らしながら運んできた梵鐘があります。この梵鐘には長い道のりを運んできたために付いたと言われるキズが数多く見られます。織田信忠は高遠落城の際、この鐘を打ち鳴らして敵味方双方の霊を弔ったそうです。
この他にも仁科五郎盛信の400年遠忌を記念して建立された位牌殿、武田信玄に追放されこの高遠の地で亡くなった父武田信虎の墓があります。(お墓はひっそりと境内の奥の方にありますので注意深く探してみてください。)
【位牌殿】
【武田信虎のお墓】
また、「塚原卜傳之碑」というものが建っています。看板には「高遠藩士が塚原卜傳を指南して碑を建立」と書いてありますが、時代的にはあっているのでしょうか?
どなたか詳しい人いませんか?
このブログへの取材依頼や情報提供、ご意見・ご要望はこちら
上伊那地域振興局 総務管理課
TEL:0265-76-6800
FAX:0265-76-6804