2023.08.18 [ 歴史・祭・暮らし ]
粃(しいな)はでていけ 実は残れ♪
初誕生の唄の謎を追う
三浦の大介 百六つ
浦島太郎は 九千年
粃はでていけ 実は残れ
こんな唄、聞いたことありますか?
先日、息子の初誕生のお祝いをしたのですが、お義父さんが大きな箕(み)に息子を乗せて、唄ってくれたものです。
初誕生のお祝いとは、子どもが生後満1年を迎える際に行うお祝いのことで、一升餅を背負わせたり、あるいは踏ませたり、子どもの前にそろばんやものさしなどを並べ、どれを選ぶかによって将来を占ったりと、地域によって異なるみたいです。皆さんもそれぞれご経験があるかと思います。
(出典:長野県上伊那誌 民俗編上別冊 人の一生 )
そしてこの唄。なぜこのような歌詞なのか、気になりませんか?
粃? 三浦の大介? いったい何のことなのか。地域によって違いがあるのか。
夏の自由研究で、ちょっと調べてみました。
★粃はでていけ 実は残れ
図書館で文献を探していくと、フレーズに違いはあれど、この歌詞は共通して多く登場してきました。
「粃(しいな)」とは、「殻ばかりで中身のないもみがら」のことです。
子どもを箕(み)に乗せながら(地域によっては立たせるところもあるそう)唄いますが、箕は本来、「米などの穀物の選別の際に殻や塵を取り除くための容器」なので、子どもが「豊かで実りの多い人生を送る」ことを願う意味が込められているみたいです。
ちなみに、上伊那の各地では下記のようなフレーズで唄われているようです。
・粃はまって 実は残れ(箕輪町南小河内、辰野町川島、駒ケ根市火山)
・粃は出ていけ 実は残れ(伊那市手良・美篶、飯島町本郷)
・実は残れ かすは飛んでいけ(伊那市高遠町)
・いい実はこっちこい 粃はそっちいけ(辰野町川島)
・粃実はそっちへ行け、いい実はこっちへこい(地区不明)
(出典:長野県上伊那誌 民俗編上別冊 人の一生 )
なお、長野県内各地でも同様に唄われているようで、調べた限りでは南信だけではなく中信、東信でも似たようなフレーズの唄を確認できました。
○飯田市(出典:飯田・上飯田の民族Ⅰ)
・粃はでていけ 実は残れ
・からは飛んでいけ 実は残れ
○松川町(出典:松川町史第三巻 松川町の歴史)
・粃は舞って 実は止まれ
・粃は出てけ いい実は残れ
○東筑摩郡(松本市、塩尻市)(出典:東筑摩郡松本市塩尻市誌第三巻下)
・粃は舞い出て 実は残れ
・粃は舞いだせ 実は残れ
・馬鹿は出ろ 粃は出ろ
○大町市(出典:大町市史第5巻 民俗・観光資料)
・粃はそっちへ行け 丸実はこっちへこい
・いい実は残れ 粃は出ていけ
・粃は外へ出ろ 実は中へ入れ
○北相木村(出典:信濃の民俗)
・粃は舞い出ろ 実は残れ
★三浦の大介(おおすけ) 百六つ
「三浦の大介(おおすけ)」について検索すると、鎌倉時代の北条一族に仕えた「三浦氏」の棟梁、「三浦大介義明(みうら おおすけ よしあき)」が出てきました。
昨年2022年に放送された某大河ドラマで脚光を浴びましたね。
三浦大介義明は、三浦一族の4代目棟梁。自らの命と引替えに、一族の隆盛の礎となった人物です。
1180年、源頼朝が伊豆で挙兵します。
三浦一族は、頼朝勢に合流しようと衣笠城を出陣しましたが、暴風雨により出陣が遅れ石橋山合戦に間に合わず、頼朝の敗走を知り、衣笠城に引き返すことになります。
このとき平家方が攻めたのが衣笠城合戦です。『吾妻鏡』によれば、戦況に利あらずとみた三浦一族の惣領、三浦大介義明(齢89)は、「老命を頼朝に投げうち、子孫の勲功に募らんと欲す」と諭し、義澄らを闇夜に乗じて城から脱出させ、自らは翌早朝に河越重頼らに討たれました。
義明は、自らが頼朝の捨石となる代わりに、源氏再興の暁には子孫が要職に就くことを暗に頼朝に願ったのです。
衣笠城を脱出した義澄らは、怒田(ぬた)城(現在の久里浜あたり)から安房(千葉県)へ向けて船を出し頼朝と合流します。この1か月後、頼朝は大軍を率い鎌倉入りを果たし、義明の願い通り三浦一族を重臣として重用していきます。
(出典:神奈川県公式HP 三浦半島観光NAVI 三浦一族のエピソード)
この三浦大介義明が討たれた歳が89歳でした。
源頼朝は、義明の17回忌に当たる日に神奈川県鎌倉市にある「満昌寺」に参拝し大供養を行ったそうです。この時源頼朝は「身は果てても今日まで共に生きている」というような言葉をかけたといわれています。
それが元となり、89歳に17年を足した「106歳」という数え年から「鶴は千年、亀は万年、三浦の大介百六つ」という祝い詞が広く広まったそうです。
(出典:神奈川県公式HP 三浦半島観光NAVI 三浦一族ゆかりの場所)
★浦島太郎は九千年
「三浦の大介百六つ」のキーワードから探していくと、「としくらべ」という日本の民話が出てきました。まんが日本昔ばなしでアニメにもなっている話のようです。
三浦大介という106歳のおじいさんが道を歩いていると、「お若いのどこへいく」と声をかけられ、ムッとして106歳だと答えると、「この浦島太郎は八千年じゃ」と言われます。
他にもこのお話には、九千歳の「東方朔」と七億歳の「老婆」が登場し、お互いの歳を比べる、というものでした。
(出典:日本の民話17 周防・長門篇)
「としくらべ」では浦島太郎は八千年でしたが、歌では九千年となっているのは、もしかすると「東方朔(とうぼうさく)」の九千年と混ざっているのかもしれません。
ちなみに、「東方朔」は前漢の武帝時代の政治家で、能楽の演目内で「3千年に一度しかならない桃の実を三つも盗んだ」など、長寿伝説がある方のようです。
この「歳」に関する唄の部分は、文献にはそれほど多く出てこないのですが、中には
・~浦島太郎は百三つ (子どもの名前)も百三つ(飯島町本郷)
・千年よう 万年よう(伊那市高遠町)
・鶴は千年 亀は万年 浦島太郎は百八つ (子どもの名前)も百八つ(伊那市上川手)
・鶴は千年 亀は万年 この子も目出度い 目出度い(東筑摩郡)
・鶴は千年 亀は万年 (子どもの名前) それよりもっと長く生きよ(下條村手塚原)
という記述もありました。
このように長生きに関する唄がある地域もあるようです。百三つだったり百八つだったり、少しずつ違うのが面白いですね。地域で伝承される中で変わっていったことがうかがえます。
以上をまとめると、
三浦の大介 百六つ
浦島太郎は 九千年(八千年)
これは、健やかに長生きすることを願い、
粃はでていけ 実は残れ
これは、豊かで実りの多い人生を送れることを願うものだと考えられます。
肝心のいつ頃から、どういった経緯でこの唄ができたのかというところまでは調べましたが分かりませんでした。。
が、この唄が子どもの健やかな成長を願う、いい唄ということが改めて分かりました。
皆さんやご家族の初誕生の時どんな唄がうたわれたのか、話をしてみるのも面白いかもしれませんね。
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