2013.08.05 [ 歴史・祭・暮らし ]
上伊那の8人の侍 ~伊那市長谷 「八人塚」~
こんにちは。
魅力発掘探検隊の中年Mです。
今から約460年前の戦国時代。
武田氏の支配から上伊那の地を守ろうと、あくまでも武田信玄に反抗した8人の武将がいました。
伊那市長谷黒河内に、郷土を守るために戦ったこの8人の名を記した碑が建っています。
黒河内隼人政信 (伊那市長谷黒河内)
溝口民部少輔正慶 (伊那市長谷溝口)
松島豊前守信久 (箕輪町松島城)
伊那部左衛門尉重親 (伊那市西町)
殿島大和守重国 (伊那市東春近)
宮田左近正親房 (宮田村北割城山)
小田切大和守入道正則 (宮田村南割)
上穂伊豆守重清 (駒ヶ根市赤穂)
上伊那の各地から、武将たちが協力して一大勢力に立ち向かっていったことがわかります。
先日、歴史・祭・暮らしグループでは、この「八人塚」を訪れてきました。
武田氏による信州への侵入は享禄元年(1528年)に始まり、徐々に勢力が拡大されていきました。
そして、弘治2年(1556年)のこと。
武田信玄が伊那に出陣してきました。
しかし、越後の上杉謙信が「川中島」に出陣してきたとの知らせがあり、武田信玄は川中島へと向かいます。
さて、上伊那では、信玄が川中島で戦っている間に、8人の武将が協力して信玄の娘の嫁ぎ先である木曽氏を攻撃し、あくまでも信玄へ反抗します。
これを聞いた武田信玄は大いに怒り、上杉軍との戦いを中途にして急遽伊那へ戻り、この8人を捕らえて処刑し、さらし首にしてしまいました。
この処刑が行われた場所が、4月24日の記事で「蓮台場 伊那市のミステリーゾーン」として紹介されている伊那市狐島の「蓮台場」です。
蓮台場には、首のない石像が並んでいます。
8人の武将とその従者を祀るものだと伝えられています。
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