い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

い~な 上伊那

2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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蓮台場 伊那市のミステリーゾーン

 こんにちは。魅力発掘探検隊のNです。
 今回は、伊那市の不思議な場所をご紹介します。
 「蓮台場」という所で、狐島区にあります。

 天竜川の東、三峰川のあり、昭和40年代に農地整備が行われ、区画整理された田圃が広がる地域で、ここの米は市内でも最も美味しいと言われています。近年は住宅も増え洒落た建物も並びますが、その一画に「蓮台場(れんだいば)」と呼ばれる場所があります。


 弘治2年(1556年)に武田信玄が信州を攻略した際に、黒河内政信等伊那の地侍8人が伊那の地を守って頑強に抵抗しました。しかし最後は捕らえられ、ついにはこの場所で処刑されたのだそうです。ここには首のない石像が並んでいて、何だか不気味です。それはこの地侍とその従者を祀るものだと伝えられています。

 時代は変わり江戸時代の正徳・享保時代(1710年頃)にこの近くに北山様(ほくさんさま)という、酒好きの和尚様が住んでいました。地元では大人にも子どもにも親しまれ、頼りにされていました。北山一星大禅師という立派な方だった様です。
 この辺りに疫病が流行した時に、北山様は治療、祈祷に活躍したのですが流行を抑えることができず、自らを犠牲にして村人を救う決心をしました。
 「鐘の音と読経のきこえるうちは、この酒筒から酒を注いでくれ」と遺言し、自ら即身仏として入定したと伝えられています。時に元文6年(1741年)74歳と伝えられています。それから約270年経た今も、4月末に北山和尚の慰霊祭が行われています。

 明治になると、ここに学校が作られ「狐島の蓮台学校」と呼ばれたそうです。今の伊那東小学校の前身となります。

 さて、蓮台場という地名ですが「蓮台野」「でんでら野」等と呼ばれる場所が、この伊那市以外にもあるそうです。またこの地名には、他界との境界という言い伝えがあるともいわれています。

 伊那の蓮台場は、近くにはナイスロードという広い道が通り、市役所にも程近い場所です。でもいくら天気のよい日でも、ここに来ると青空が少し歪んだガラスを通して見たような感じがするのは、私の老眼が進んだせいでしょうか?

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