2013.08.05 [ 歴史・祭・暮らし ]
上伊那の8人の侍 ~伊那市長谷 「八人塚」~
さて、8人が処刑された後、伊那市長谷の黒河内の住民の勇士が、暗夜に乗じてひそかに狐島に赴きます。
そして、黒河内に8人の首を持ち帰り、黒河内隼人政信の居城であった艮(うしとら)城の東の丘に丁重に葬りました。
これを古来「八人塚」と言ったそうです。
静かな林の側に、「八人塚」はありました。
この場所には、長い間、墓石のひとつもありませんでした。
武田氏支配の時代も、それ以降の江戸の封建時代においても、時の権力者に逆らった8人を祀ることはできなかったようです。
しかし、郷土を守るためにあくまでも反抗した8人の英雄に対する想いは途絶えることはなく、過去にも、嘉永年間(1850年頃)と昭和6年に8人を祀る碑の建立が計画されたことがありました。
そして、約420年が経った昭和50年、当時の長谷村主催のもと、村民の賛同と協力によって、ついに建立されたのが「八人塚」の碑です。
ひっそりと8人の名を讃えています。
皆さんも、長い時を経て地元の人々の念願がかなった「八人塚」の碑を訪れ、静かに手を合わせてみてはいかがでしょうか。
<参考文献>
「伊那谷 長谷村の文化財」(発行:長谷村文化財専門委員会)
「上伊那たずねある記」 (発行:上伊那農業協同組合)
◎ 伊那市狐島 「蓮台場」
◎ 伊那市長谷 「八人塚」
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